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「近代和風住宅 沖本邸和館」 国分寺市

  • 建物雑想記
  • 2019.11.15
沖本邸和館以前このコラムで紹介した、国分寺崖線沿いに建つ沖本邸の洋館に付属する和館である。洋館は貿易商土井内藏の別荘として昭和7年(1932)に建てられ、昭和12(1937)より沖本至の自邸として使われた。その後、昭和15年(1940)に洋館の東側に沖本至により和館が増築された。洋館はアメリカで建築を学んだ建築家・川崎忍による設計であったが、和館は沖本の勤め先の日本石油の人脈によって設計、施工された「近代和風建築」である。

「近代和風建築」は明治以降から概ね戦前までに建てられた建築で、日本の伝統的技法と近代の技術や手法を併用して、近世以前のデザインを踏襲した建築の事を言う。近代洋風建築は日本の近世建築とは違ったデザインなのでわかりやすく、沖本邸でも洋館は近代建築として誰もが納得するところと思うが、和館となると「今までと変わらないのではないか」という先入観から、その価値が評価されにくい。
沖本邸和館和室の天井の真ん中に電気式の吊り照明を下げる手法(近世は床置きの燭台が一般的で、光源は蠟燭や油だった)や引戸へのガラスの使用等、現在では当たり前となっている和風要素も近代に登場した技術によるものである。また、経済力があれば身分に関係なく上質な建築を建てられるようになったのも近代で、近代和風建築に見られる近世から伝承された技術と自由な発想による意匠の融合、吟味された上質な材料等は、近代という時代性によるところが大きい。

沖本家の和館は、洋館が既に住まいとして建っていたことから、洋館から渡り廊下を介してアプローチする造りになっている。したがって、和館には「玄関」となる空間が設けられておらず、台所や食堂、浴室もなく、水廻りは便所と手洗いのみとなっている。畳敷の部屋が三部屋あり、続き間は客間的な要素が強い。戦前に建てられた和洋館並列型住宅の多くは、和館で日常生活を行い、洋館は接客の場として使われたので、その逆のパターンとなっているところが沖本邸の特徴といえる。
沖本邸和館和館の意匠は数奇屋造りとなっている。数奇屋の意匠は渡り廊下から既に始まり、床は板張、壁は京壁に錆丸太の柱、そしてその上に小舞天井が乗る。くの字に曲がった廊下は、奥が見通せない配置で、ここで「洋」から「和」への場面転換が行われている。渡り廊下は和館に繋がると、その北側に四畳半の和室、奥に手洗いと便所、南側に六畳と10畳の続き間が設けられている。いわゆる「中廊下式」の間取りとなっており、廊下を介して生活空間と接客空間とを分け、個々の和室を独立させた近代的な間取りで設計されている。


北側の四畳半は漆喰壁で長押が無く、数奇屋の意匠もここには見られない。中廊下型住宅のセオリー通り、家族使用の茶の間的な部屋として造られたと考えられる。中廊下から南に繋がる広縁には1mを超える巾広の硝子引戸が贅沢に使われている。室内で建具を閉めた状態で庭を楽しめるのも硝子の普及する近代以降の話である。続き間の奥座敷は料亭を思わせるような趣向を凝らした設えとなっている。特に床の間の落し掛けは、柱のあるべきところに柱を置かず、落し掛けが空中で繋がれているように見せているところが斬新で、その後のモダニズムに通じる軽快さがある。

奥座敷の「草」の意匠 左:重ね継ぎの落し掛け、右:面皮付柱、丸太の廻り縁(ウリボウ柄)

奥座敷の「草」の意匠 左:重ね継ぎの落し掛け、右:面皮付柱、丸太の廻り縁(ウリボウ柄)



左:洗面所建具枠に自然木が使われている、右:広縁の照明器具(桜がデザインされている)

左:洗面所建具枠に自然木が使われている、右:広縁の照明器具(桜がデザインされている)



沖本邸の洋館は洋風ではあるが、意匠は控え目で生活の場としてデザインされたと考えられる。一方、和館は接客を意識した間取りで、銘木を厳選した普請道楽的な建築と言える。随所に「これは…」と思わせる意匠が散りばめられていて来客者を楽しませてくる名建築である。

【参考文献】
■「建築もののはじめ考」大阪建設業協会 新建築社 1973三年
■「床の間 第二 建築写真文庫43」彰国社 1957年