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「国分寺崖線に佇む洋館」 国分寺市

  • 建物雑想記
  • 2018.08.15

内藤の洋館の佇まい  撮影:伊藤龍也


 JR国立駅の南口から徒歩10分も満たない国分寺崖線の上(国分寺市内藤)に昭和初期の洋館が残っていると、旧高田邸プロジェクト(本誌159号で旧高田邸を紹介、昭和初期の国立大学町が整備された時期の住宅で、解体前に公開イベントが開催された)の仲間から「洋館情報」があった。国立駅周辺の洋館については、旧高田邸イベント時に類似例を調べたことがあり、現存する建物は把握しているつもりでいたが、他にもまだ知らない洋館が残っていることがわかり、嬉しくなった。
五月の連休に洋館を見させていだく機会があり、現地に向うと、崖線を登った所に確かに洋館が建っていた。建物の形、豊かな緑、ゆったりとした敷地、見た瞬間に感動を覚えるような洋館の佇まいであった。




玄関、屋根付きのポーチはコロニアル様式の特徴の一つ 撮影:伊藤龍也

玄関、屋根付きのポーチはコロニアル様式の特徴の一つ 撮影:伊藤龍也


 この建物(以下内藤の洋館と表記)は広島県出身の貿易商の土井内蔵の別荘として昭和7年(1932)に建築された。設計は土井の甥で建築家の川崎忍による。その後、昭和12年(1937)に土井と同郷の沖本至(海軍少将を務め、戦後は土井の会社に勤務)が自宅として譲り受け、和館を沖本が別棟で増築したことが国分寺市の調査で判っている。その後、沖本家が建物を維持管理し続け、現在に至る。
内藤の洋館の設計者、川崎忍はカリフォルニア大学で建築を学び、昭和3三年に川崎建築事務所を開設した。代表作に文京区の日本基督教団本郷中央教会(昭和4年築)がある。鉄筋コンクリート造、ゴシック様式の教会で、現在でも現役の教会として使われており、国の登録有形文化財になっている。この洋館はその4年後に建てられた住宅建築だが、こちらは木造で下見板張りの簡素なコロニアル様式である。屋根の勾配、窓のプロポーション等、均整の取れた洋館となっているのは、米国のアカデミズムの中で様式建築を習得した建築家によってデザインされた所以である。


 日本に洋風建築が伝播してくる過程を以前このコラムでも紹介しているが、ここで改めて整理したい。洋風建築は様々なルートで日本に伝わってきたが、実は西欧からの直伝よりも米国経由のものが多いのだ。特に戦後はその傾向が強い。今までは単純に[米国→日本]という流れで見ていたが、[西欧→米国→日本]という大西洋ルート(⓪)まで加味すると、以下の図のような模式となる。つまり、米国における建築の大元は英国にあり、特に住宅の場合は出身地のデザインが踏襲されるので英国の影響が大きいと言える。その中で米国の気候風土に適して変化した。英国との大きな違いは、米国は森林資源が豊富だったため、木材が身近な建築資材として多用されたことである。また、米国は広大なアメリカ大陸を植民地(コロニアル)として開拓してきた歴史から、西欧に比べて装飾が簡素なことも特徴の一つである。気候による変化としては暑い日差しを避けるためにポーチやベランダが付加された。このように英国を主流とした西欧からの移民の建築文化が北米大陸を横断して日本へと伝わった訳だが、米国の経由の洋風建築は西欧からの直接的な伝播(③)よりも建築的に受け入れやすかったことがわかる。
世界マップ2018-HP


 さて、内藤の洋館に話を戻そう。建築のデザインは、建物の用途や建て主の要望、そして設計者の経験によって決定されることが多い。内藤の洋館では、建て主の土井内蔵と設計者の川崎忍が共にアメリカに留学経験を持つことが影響していると考えられる。間取りは中廊下式の住まいで、和室は2階の個室一部屋のみで、他は全て洋間となっている。一般的な昭和初期の住宅にしては珍しく、洋式の生活を想定して建てられたことがわかる。居間や独立した台所、家族の個室があり、家族本位の間取と言え、当時欧化政策のモデルとされた「文化住宅」の要素が全て盛り込まれている。米国での生活経験を反映した住まいと言えるが、一方、外開きの玄関ドア(欧米の玄関ドアは内開きが基本)、玄関での沓脱ぎ、引き違い窓などは、日本的な建築要素が採用されており、洋式生活一辺倒ではなく、日本の気候風土に合わせた合理的な選択をしていた。
次に外観であるが、様式建築の意匠的な特徴は外観で決まると言っても過言ではない。米国で建築を学んだ川崎なので、古典的な様式建築やモダニズム建築で別荘をデザインすることも可能であったと思われる。簡素なコロニアル様式にしたのはなぜだろうか……。




居間、正面の壁には大谷石積みの暖炉がある 撮影:伊藤龍也

居間、正面の壁には大谷石積みの暖炉がある 撮影:伊藤龍也


 ここで昭和初期の国立駅周辺の様子を垣間見てみたい。大正15年(1925)に竣工した国立駅舎はロマネスク風の半円窓があったことから、様式建築として括ることができる。駅舎等の公共性の高い建物は、様式建築で建てられることは当時一般的であった。ちなみに昭和2年(1927)に建てられた一橋大学はロマネスク様式による建築である。国立駅の西側に昭和4年(1929)に建築された旧高田邸は、米国の建築家F・L・ライトを彷彿させるようなモダンな意匠で建った。建築主の高田義一郎は医師でありながらも文筆家であったことから、建築のデザインにも生き方が反映されていたと推測できる。また、大学通りに面した旧野島邸は、昭和2年(1927)に建てられた下見板コロニアル風の文化住宅であった。このように昭和初期に建てられた洋風建築は多様性に富み、ある意味で欧米よりも自由に造られていたと言える。


 内藤の洋館がコロニアル様式で建てられたのは、建て主と設計者がアメリカと関わっていた時代に鍵がありそうだ。二人が米国にいた20世紀初頭のアメリカは、まだ西欧様式建築のリバイバルが主流の時代で、住宅ではコロニアル様式が好まれていた。モダニズム建築が市民権を得るのは世界大恐慌が終わる1930年代後半まで待たなければない。内藤の洋館を建てるに当り、思い描いた理想の住宅が下見板コロニアル様式だったのは、二人がアメリカに居合わせた時代性によるものと想像できる。




階段の踊り場、ゆったりとしていて登りやすい 撮影:伊藤龍也

階段の踊り場、ゆったりとしていて登りやすい 撮影:伊藤龍也



内藤の洋館は現在空き家で、建物を改修して活用しながら残していく方法を探っている。国立駅舎は線路の高架に伴い解体されたが、国立市の指定文化財として復元される予定だ。旧野島邸はフランス料理店に改装され、国立市の登録有形文化財になっている。現在お店は休業中だが、こちらもリニューアルオープンの予定である。国立大学町初期の建物が時代を超えて蘇るのは嬉しいことである。内藤の洋館も再び活用される日が来ることを願っている。


【参考文献】
■『アメリカン・ハウススタイル』ジョン・ミルンズ・ベーカー著/戸谷英世訳/1997年/HICPM研究所発行