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「ノコギリ屋根の大工場」 昭和飛行機工業 昭島市

  • 建物雑想記
  • 2009.11.01
昭和
「ノコギリ屋根」は工場建築に多く採用されてきた屋根形状で、ギザギザな屋根が鋸の歯に似ていることからこのように呼ばれている。ギザギザ屋根の勾配のきつい側にガラス等の透過性のある素材を入れることで、大規模な建物でも部屋の奥まで自然光を取り込めるように工夫された、優れた屋根なのである。ノコギリ屋根のルーツは遠くイギリスまで辿ることができ、産業革命の発展に伴い一九世紀の初旬に繊維織物工場の建物として考案されたのが始まりと言われている。そのため採光面は繊維の仕上がりを確認する必要性から、均一な明るさを取り入れることのできる北側からの採光を基本として設計されることが多かった。
日本では明治中期から織物産業の工場にこの屋根が採用されるようになった。多摩地域でも繊維産業の盛んな八王子や青梅にノコギリ屋根の工場が多く建てられており、その数は減っているものの現在でも確認することができる。優れた採光性のある屋根として、繊維産業に限らず、規模の大きな工場建築に取り入れられるようになり、今ではノコギリ屋根の建物は工場建築の代名詞のように扱われている。

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昭和飛行機工業の中に昭和初期に建てられた大規模なノコギリ屋根の工場(東工場)が現存すると聞いていたので、幾重にも連なるギザギザ屋根の景色を想像していた。しかしながら実際に現場に行ってみると、「歯」の数ではなく、「鋸歯」そのものが巨大な、日常的な規模を超越した工場がそこにあった。近づく程にその大きさに圧倒されてしまう規模である。それもそのはず、この工場の中では飛行機が組み立てられていたのである。
昭和飛行機工業(株)は昭和12年 (1937年) に、アメリカのダグラス・エアクラフト社(現ボーイング社)の開発したDC-3輸送機を日本でライセンス生産するために設立された会社である。DC-3は双発のプロペラ機で長さ約19m、幅約29m、高さ約5mの飛行機で、当時最も性能の高い飛行機として航空輸送を牽引した名機である(ちなみに、平屋建ての木造住宅の棟の高さが約5mくらいである)。この飛行機が余裕を持って内部で組み立てられる規模が必要だったことを思うと、その大きさにも納得である。
このような巨大建築は、現在では珍しいことではないが、工場の建った昭和初期のことを思うと、正に夢のような規模だったのではないだろうか。建築の世界では建物の規模を大きくすることは、その時代の技術力に比例すると言っても過言ではない。太古の昔より人間は、より高く、より長く、そしてより広い建造物を造ろうと絶えずチャレンジしてきたのである。
産業革命によりノコギリ屋根の形ができあがったことは既に述べたが、初期のノコギリ屋根の工場は木造で、規模も小さかった。産業革命の結果、製鉄の技術も飛躍的に伸び「鋼」が大量に生産されるようになった。鋼は炭素の含有量を0.3%以下に少なくした鉄鋼で、鋳鉄や錬鉄に比べて強度や靭性等が大幅に高い。鋼を用いたトラス構造では、圧縮力と引張力を材料に負担させることで、効率よく力を分散できるようになり、産業革命以前に比べてより大規模な建物を造ることが可能になった。

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東工場の天井を見上げると、幾重にも重なった三角形トラスのパターンが幾何学模様を構成していて実に美しい。この圧倒的な空間を支える屋根の構造にしては個々の部材はあまりにも華奢に見えるが、細い材料で長スパンの構造を構成できることがトラスの特徴なのである。天井を更によく観察すると、屋根面を支える野地板と呼ばれる板材が、なんと木材であることが確認できる。現在では防火関係の規定で、木を使いたくても簡単に使えないと思うが、昭和初期の建物だからこそ実現している素材のマッチングが、何とも言えない穏やかな雰囲気を醸し出している。

ノコギリ屋根の東工場も含め、昭和飛行機工業の設立時の一連の建物は山下寿郎建築事務所(現株式会社山下設計)によって設計され、合資会社清水組(現清水建設株式会社)によって施工された。山下設計は現在でも日本を代表する組織建築設計事務所の一つで、霞ヶ関ビル(1968年)を設計したことで有名である。昭島市では昭和飛行機工業の他、昭島市庁舎(1997年)が山下設計による建物である。

丸石ビルディング

丸石ビルディング



山下寿郎は明治生まれの建築家で、東京大学で建築学を学んだ後、昭和3年(1928年)に山下寿郎建築事務所を設立している。昭和6年 (1931年)には、千代田区の丸石ビルディングを設計しているが、この建物はネオルネサンス様式を彷彿させる近代建築で、玄関脇にライオンの彫刻が鎮座するなど様々な動植物が建物にデザインされたユニークな建物である。現在でもオフィスビルとして使われており、国の登録有形文化財にもなっている。山下寿郎建築事務所はこの密度の高い古典様式建築を設計した六年後に、昭和飛行機工業では東工場のような機能主義のモダニズム建築も設計しているのである。当時の設計者のレンジの広さには驚くばかりである。

東工場ではノコギリ屋根の工場には珍しく、南側の屋根に主要な採光面を設けている。直射日光が内部に入り込んで眩しいような気もするが、巨大な空間を少しでも明るくすることを優先したのであろう。更に北側面にも屋根を跳ね上げて、ここからも採光を得る仕掛を造っている。この建物は両刃のノコギリ屋根とも言え、光へのこだわりが伝わってくる。
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細部の意匠にも設計者の意思が表れており、どうも単に機能だけを追求した建物ではないようである。トラス構造を含め全てが直線形の要素で設計されている中で、階段の手摺だけは、丸パイプで優雅な曲線を描いているのだ。配置も凝っていて、二つの階段が両側から中心に向かって降りてくる大邸宅の階段のような位置関係になっている。このような階段をつくるのには手間もコストもかかるはずだが、その効果は絶大で、この階段の演出があるだけで工場全体の緊張感を和らいでいる感じがした。スケールアウトした建物だからこそ、人力で上り下りする階段をしっかりとデザインすることで、工場で働く人と大空間のスケールギャップを修正していたのではないだろうか。細かいところまで丁寧に設計された上質な建物であった。

【参考文献】
[広さ][長さ][高さ]の構造デザイン
編著:平井善昭、小堀徹、大泉楯、原田公明、鳴海祐幸
発行:2008年 建築技術