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「文化 今昔」沢淵の文化住宅 八王子市

  • 建物雑想記
  • 2005.08.01
建物雑想記 沢渕の文化住宅

今回取材した元横山町の洋風住宅群は「沢渕の文化住宅」と呼ばれていたと地元のNさんが教えてくれた。「文化住宅」か……、「文化○○」という言葉には、ワクワクするような憧れを感じるのは何故だろうか。魅力的な響きがこの言葉にはある。そのような昭和初期に建てられた「文化住宅」が元横山町には現在でも何軒も残っていたのだ。
「文化住宅」という言葉が使われ始めたのは、大正11年(1922年)に上野で開催された東京平和記念博覧会の住宅展示会場「文化村」の影響によるところが大きいと言われている。「文化村」では明治維新以来のテーマである和式と西洋式の二重生活の解消と持ち家政策の具体的なイメージとしてのモデルハウスが展示された。モデルの多くは外観が洋風で、間取りは当時では珍しい椅子座の居間中心型のプランが提案され、家族本位の生活への方向付けがされていた。

このように「文化村」で展示されたモデルはそれまでの住宅にはない、生活を快適で便利にするための様々な要素が盛り込まれていて、正に「文化的」な住宅であった。しかしながら実際は、今まで続けてきた生活を明日からいきなり変えることなどはできるはずもなく、畳座の生活が椅子座に、家父長制の間取りが家族本位の間取りに変わるのには戦後になるまで待たなくてはならなかった。
では「文化住宅」とはどういう住宅のことを指したのかというと、モデル通りの新しい生活様式に則した住宅ももちろんあったが、大半は「文化村」で展示されたような洋風デザイン(イメージ)を持つ家のことを呼んでいた。今までの住宅とは違う、目新しさのある住宅の総称として使われていたのだ。外観や使われている素材は洋風でも生活様式は全て和式という「文化住宅」も少なくなかったが、それでも大正初期の和風住宅に比べると確実に洋風に近づいた住宅であった。

沢淵の文化住宅

民俗学者の今和次郎が大正14年(1925年)に中央線阿佐ヶ谷駅付近の街並みに関する面白い調査をしている。著書「考現学入門」では「盛んに宣伝されました文化住宅の実際建てられている割合」を調べたとある。「文化住宅」が当時注目されていたことがここからも読み取ることができる。調査の範囲は阿佐ヶ谷駅付近一万三千坪あまり(約210m四方)だった。
結果は日本式住宅が75%で文化住宅が20%、洋館付属型和風住宅が5%建っていたと記されている。今和次郎は洋風住宅を文化住宅として、洋館付属型和風住宅と分けて考えていたが、昭和初期には洋館付属型和風住宅も文化住宅の内と捉えるケースが主流となるので、洋風又は洋館が付属している住宅が25%だったと読み代えることができるだろう。つまり阿佐ヶ谷駅前付近に建つ住宅のうちの四軒に一軒は文化住宅だったという事になる。

話を元横山町に戻そう。「沢渕の文化住宅」はどのような経緯で造られたのだろうか?
昭和初期に地主が畑を整地して戸建て住宅の建設を始め、数年かけて街区を開発したようだ。残念ながらそれ以上のことは判っていない。
八王子駅に歩いて10分、東八王子駅(現京王八王子)には数分で行ける好立地で、ちょうど昭和元年(1926年)に東八王子〜新宿間が開通していることを考えると、当時はまだ少数派だったホワイトカラー層をターゲットにした宅地開発だったのではないかと予測できる。実際、入居していた方々は教員や銀行員などの家族が多かったようである。
元横山町のMさんの住まわれてる街区では、現在でも四軒程文化住宅が残っていて、通りを挟んでも洋風要素を取り入れた古い住宅を何軒も確認することができる。先日阿佐ヶ谷駅付近を散策したが、古い洋風住宅をいくつか見かけることができるものの、かろうじて「点」として残っているだけで、一九二五年の調査時のような四軒に一軒のような割合では確認することはできなかった。元横山町のように文化住宅が隣接して現存する場所は珍しいと言えるだろう。
さらに、建て替えで新しい住宅になっているところも、昔は文化住宅だったところが何件もあったとのことなので、建築当初は街区として文化住宅の街並みが存在していたと予想される。この場所が「沢渕の文化住宅」と特別に呼ばれていた所以もここらへんにありそうだ。
ホワイトカラーという新しい労働者層のための住宅として時代を先取りした地区が「沢渕の文化住宅」だったのではないだろうか。

上野で「文化村」が展示されてからわずか10年足らずで八王子に文化住宅が街区として建設されたことは注目に値するだろう。その後、戦中の中心市街地の空襲から免れ、さらに戦後の再開発の影響を受けずにそのまま街区が残ったのは奇跡的と言える。戦後60年経った現在では目新しさとしての「文化」ではなく、昭和初期という時代の生活様式及び社会的動向をとどめた建築としての「文化」的な価値が発生していると言えるのではないだろうか。将来に継承したい「建築文化」の一つである。

■参考文献
「考現学入門」1987年 今和次郎著、藤森照信編 ちくま文庫
「図説 近代日本住宅史」2001年 内田青蔵他 鹿島出版会