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「中本達也・臼井都記念 芸術資源館」/国立市

  • 建物雑想記
  • 2022.08.28
「芸術資源館」は、洋画家で多摩美術大学教授を務めた中本達也と、その妻で洋画家の臼井都の住居兼アトリエだった場所を、二人の教え子や関係者が集まり自力で改修した施設で、2021年に開館した。記念館、図書室、交流施設などの要素を備え、絵画を中心に様々な活動が展開されている。

ガーデンギャラリーから見たアトリエ



■アトリエのスケッチ
中本と臼井は1951年から国立に移り住み、住居兼アトリエは中本が設計し、大工と共に建設した。当時は建築資材が手に入りにくく、近隣から農家の廃材等を調達して建てたといわれている。こつこつと工事を進め、1956年頃には現在の形になったようだ。外観は片流れ屋根が交互に連続するユニークな形となっている。

「中本は元々建築にも興味があったうようで、アトリエ計画時の資料が残っている」と芸術資源館・館長の近藤幸夫さんが収蔵棚から貴重なスケッチを取り出してくれた。スケッチは屋根と壁が連続する独創的な三角屋根の建物で、三つのブロックに分けられたフォルムは現在の建物に通じるものがある。




アトリエ構想時のスケッチ


建築は内部空間に用途が発生することから、室内と室外に思考をめぐらせながら設計を進めることが多い。中本のスケッチからは、三角屋根が並ぶイメージを絵画的にデザインした様子が伝わってくる。中央ブロックの間口(幅)は、室内のことを考慮すると非現実的な狭さになっているが、ここを境に左右に振り分けたいという強い意志が感じ取れる。


下段のスケッチは、上段のイメージを実際の建物に描き直したものと思われ、特に右下のスケッチはより図面的(説明的)になっている。地面と壁が明確に分けられ、基礎の上に建物が建つようになった。屋根も素材のタッチからフランス瓦と読み取ることができる。全体的な印象も変わり、両開き窓に鎧戸の玄関のある、ヨーロッパの山小屋のような外観となった。




中本達也アトリエの小屋裏部屋


国立は箱根土地株式会社によって昭和初期に開発された学園都市として知られている。華やかな大学通りも、少し外れると住宅が疎らで、整然と区画整理された宅地には武蔵野台地の原風景の赤松が残っていた。スケッチに描かれた樹木は筆運びから松であることがわかり、中本と臼井が国立に移住した1950年代の国立の様子をここからうかがうことができる。


■現在のアトリエ

実際の建物を見ると三つのブロックの間取りは、中央に食堂や水廻り等の共用部あり、両側にアトリエが配置されている。玄関へは中本のアトリエの脇を通って中央ブロックから入る動線で、アトリエの独立性が保たれていた。個性の違う二人の画家が、それぞれの創作活動に没頭でき、その間で日常生活を共有する、言わば職人の住居のような間取りである。

二つのアトリエは北側が高い片流れ屋根で、直射日光を避けた安定した明るさを確保できる北側に高窓が開口されている。中本のアトリエは15帖程の広さがあり、天井高も5mと高い。大きな作品を外部に搬出するための高さ4mの小扉が道路側に設けてある。臼井のアトリエは11帖程で天井の高さも4mとやや小ぶりだ。北側の窓は中本のアトリエよりも幅が狭いながらも、高窓に天窓を併設することで明るさを確保している。天窓の棟木を支える磨き丸太の独立柱は、床からスラっと立ち上がり、力強く美しい。

臼井都のアトリエ


中央ブロックの生活空間は、太陽光を積極的に享受すべく、南側が高い片流れ屋根になっている。窓にも工夫があり、庭側の窓は雨戸のように戸袋に引き込むことができる。スケッチでは両開き窓に描かれていた窓が引き違い窓となり、全開放できなくなったため、窓を柱の外に出すことで、この問題を解決しているのだ。引込窓によって庭との一体感も増している。


スケッチの三角屋根はアトリエの採光を考慮して、片流れ屋根となり、互い違いに屋根を架けることで当初のブロックを3つに分けたイメージが実現されたのである。中央ブロックの三角屋根にあった小窓も、中本のアトリエの小屋裏に設けられた。わずか3帖の部屋で、隠れ家的な場所と思われたが、南に向かった勾配天井が明るく心地のよい小空間をつくっていた。


■設計・自力建設という創作活動
生活スペースとなる中央ブロックは水廻りを入れても20帖(10坪)の広さしかない。これは寝食分離の生活に必要な最低限の広さで、自ずと収納場所の面積も限られる。そのため畳を床から73cm上げることで、下に収納スペースを設ける工夫をしている。

通常73cmも床を上げると、上部の天井の高さが足りなくなるが、中央ブロックは南に向かって勾配なりに屋根が高くなるので、下部に収納を作っても天井高が確保されるのである。物理的な面積が足りない状況で、階とは違う、床の積層による新たな収納空間を創出したのが「小上り」といえる。


スケッチは一見、空想上の造形のようにも見えるが、その中には次元を超えた部屋のイメージが広がっていたのではないだろうか。そのイメージを現実の世界に展開し直したのが、現在の建物といえるだろう。中本にとってアトリエを建設する行為は、自力建設の域を超えた、創作活動の一環であったことが、スケッチから建物を読み解くことで伝わってくる。


建物が成立するためには、風雨を凌ぎ、生活するための基本的な性能の他、建物を構成する取り合いが整っている必要がある。この取り合いのことを「納まり」といい、アトリエは程よく納まっているのである。そこには設計者としての中本の存在を感じ取ることができる。




ガーデンギャラリー 旧国立駅舎の廃材が再利用されている


中本が1973年に51歳の若さで逝去した後は、臼井が2019年までここで絵を描き、絵画教室を営みながら、アトリエを維持し続けた。そして、芸術資源館とガーデンギャラリーがオープンした。ガーデンギャラリーは建物と庭との関係性を加味して造られ、ここをより魅力的な場所へと高めている。館長の近藤さんは「芸術は与えられるものではなく、自ら探求することが大切。芸術資源館を通して人と人が繋がり、集い、芸術活動の新たな姿を目指す場所となってほしい」と希望を込めた。