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「建築的☆酒蔵めぐり/田村酒造場」 福生市

  • 建物雑想記
  • 2021.02.22

田村酒造場 正面入口 2004年撮影


福生市の田村酒造場は東京の地酒「喜泉」で知られる老舗酒造会社である。田村家は福生村の旧家で、17世紀後半の古文書に祖先の記録が残っている。酒造場の創業は文政5年(1822)で、現在でも江戸時代の酒造蔵が残る建築的にも貴重な場所である。新米の季節に、蔵元の田村半十郎氏と社長室長の吉原勝氏に酒造場を案内頂いた。


もう10年以上も前になるが田村酒造場を毎年のように訪れていた時期があった。立川の地域情報サイト「タチカワオンライン」で「建物と街」という記事を担当していたことがあり、2004年に田村酒造場を取材させて頂いた。同じ頃、タチカワオンラインを運営するツアーオンラライン(株)による田村酒造場の「酒蔵見学と芋煮会」が始まり、その後6年間、芋煮会の応援スタッフとして参加していたのだ。

今回は久々の酒造蔵見学であったが、以前と変わらない、清らかで整然とした佇まいがそこにあった。一見何も変化がなかったようだが、この間に2011年には東日本大震災があり、関東でも建物に対して「耐震」という視点が広まるきっかけとなった。田村酒造場でも本蔵の耐震補強が行われていた。また、酒造蔵等の敷地内の五棟の建造物が2013年に国の登録有形文化財へ登録され、日本酒の食文化に加えて、酒造場という木造建築文化も未来に引きつぐ役割を担うことなったのである。

正面入口から見た主要通路



文化財の登録の前後で建物に物理的な変化はないが、文化財に登録されることで、その建物の持つ価値が明文化されることに大きなメリットがある。特に田村酒造場の場合は酒造蔵を見学できるので、酒造りの過程はもちろんのこと、お酒が造られる建物や空間の価値を普遍的な視点で共有することで、そこから造られたお酒をより深く味わうことにつながるだろう。旨味が一つ加わっと言っても過言ではない。

中蔵から新蔵の天井を走る設備配管



文化庁のホームページを見ると、酒造蔵の登録基準として「国土の歴史的景観に寄与しているもの」とあり、「玉川上水沿いの敷地北西に建つ酒造場の中心建物で、南より切妻造の本蔵、中蔵、新蔵が連立し、本蔵南に煉瓦煙突が建つ。外壁漆喰塗で腰を下見板張とし、庇付窓を規則的に並べる。煙突は八角形平面で帯鉄補強する。酒造蔵の拡張過程を良好に伝える大規模土蔵」と解説されている。的確な建物の説明ではあるが、味気ない感じだ。田村酒造場のホームページの「文化遺産」の項目に酒造蔵の解説がより詳しく紹介されているので、こちらも覧いただきたい。しかしながら、やはり用語の解説がないと難解なので、ここでは登録有形文化財への登録の元となった東京都教育委員会の調査報告書(東京都近代和風建築総合調査報告書/平成21年)の詳細調査を参考に、噛み砕いた解説を試みたいと思う。

酒造蔵は通りから入って正面左側の煙突の立つ建物のことだが、登録文化財だと思って建物内部に入ると「なんかイメージが違う…」と思われる方もいるだろう。その感覚が正しいので心配しないで頂きたい。入口から見える部分で文化財として登録されているのは煙突だけで、外観の蔵造りの建物は登録の対象から外れている。この部分は元々は本蔵の又下屋だった部分で、長年の使い勝手の過程で蔵のイメージを踏襲しながら鉄骨造で作り直した部分である。


酒造蔵は本蔵・中蔵・新蔵が連なって構成されたとあるが、その位置関係を整理すると間取り図のようになる。本蔵は創業時の文政5年(1822)に建設された。部材の使われ方から当初から移築建築であったと推測されている。現在の本蔵は二つの建物に挟まれた位置関係になっているが、当初は南北に又下屋の付いた建物であった。その後、百年程は本蔵で酒造りが続けられた。明治時代になり世の中が変化する中で、お酒の販売方法も量り売りから瓶の販売に変わり需要が増え、田村酒造場でも時代に呼応するように酒蔵を増やしている。

中蔵の2階



大正7年(1918)に本蔵から少しずらして中蔵を増築し、その四年後の大正11年(1922)に同様に新蔵も建てられ、現在の酒造蔵の形ができあった。蔵の増築あたり新たな蔵を別棟で造り、屋根を連結する方法で増床したイメージである。この方法だと個々の蔵は構造的に縁が切れているので、維持管理が容易となる。本蔵は2019年に耐震補強が行われたが、単独で補強が可能なのは構造的に縁が切れていたからである。ギブスのような金物補強は現在の構法だが、これも江戸時代の架構を将来に残してく方法の一つである。

本蔵の耐震補強



酒造蔵は増築を重ねながらも主要動線は南北軸で貫かれ一体性が強い。整然と並ぶ列柱は圧巻だ。新蔵の増築以来百年もの年月が経とうとしているが、当時の間取りは現在にも引き継がれていて、既に酒造蔵としての形の完成形ができあがっていたと推測される。一方、酒造りは時代と共に新たな技術を取り入れ、伝統と新しい技術が入り組んだ独特な世界となっている。無駄のない整った配管には美しさを感じる程である。田村酒造場では「和醸良酒」をモットー酒造りを行なっており、その想いは酒造蔵建築にも現れている。丁寧に時を重ねた空間がだけが醸し出す調和のとれた世界である。