「猪子扠首はどこへ? 高尾駅北口駅舎」 八王子市
- 2017.10.15
今回紹介するのは、JR高尾駅の北口駅舎。実は高尾駅を利用したことがあっても、北口から駅を出たことのある人は案外少ないようだ。駅の北側に甲州街道が通っていることもあり、浅川町時代は庁舎も含め北側が町の中心であった。高尾駅が中央快速線の始発駅であることから、平野部の広がる南側で駅前開発が進み、最近では大型複合商業施設イーアス高尾も開業し、駅の南側は大いに賑わっている。また高尾山を目指す人も、京王高尾山口駅からのアクセスの良さから、JRで高尾駅まで来ても南口から京王線に乗り換える人が大半と思われる。なかなか北口を利用する機会がないかもしれないが、高尾駅北口駅舎は、東京駅の赤煉瓦駅舎同様、皇室ゆかりの駅舎として歴史的な価値の高い建物なのである。
高尾駅は明治34年(1901)に浅川駅として開業した。現在の北口駅舎は昭和2年(1927)に建てられた浅川駅二代目の駅舎である。ちなみに駅名が高尾駅に改称されるのは昭和36年(1961)のことである。北口駅舎が社寺建築風の建物であることには理由があり、大正天皇の大葬の礼において、新宿御苑に設けられた大葬用仮停車場の用材を用いて建てられたことに由来する。大正天皇が崩御し、大正天皇陵が浅川駅の北東に造営されたことで、北口駅舎は多摩陵参拝の最寄駅として整備された。北口駅舎をそのような経緯を踏まえて見ると、同時代の他の駅舎との違いが読み取れる。大葬用仮停車場とは言え、駅舎に求められる大空間を実現し、宮廷駅としての伝統と気品を備えた意匠を現在に引き継いでいるのである。
北口駅舎の改札を何も知らずに通過すると、東京の大動脈である中央快速線の駅とは思えない異空間に驚く方もいるのではないだろうか。五間四方(50畳)の無柱空間に天井高四㍍を超える折り上げ格天井、蟻壁長押をまわした和風建築は多摩陵参拝の最寄駅にふさわしい格式の高いホールとなっている。
改札ホールを堪能した後は、そのまま外に出て、できればバス停のあたりまで進み、駅舎を斜め前方から見上げてほしい。切妻屋根の重なる凛々しい姿にさらなる感動を覚えることであろう。駅を訪れた者の期待を裏切らない見事な外観である。
駅舎の移設設計を担当したのは鉄道省建築課の技師曽田甚蔵(注1)と言われている。大葬用仮停車場の用材が、どのように本設の駅舎に使われたのか謎であった。部材だけの転用だったのか、間取りや外観等、仮停車場の意匠を踏襲した移築に近い利用の仕方だったのか…。この度、八王子市郷土資料館の協力で、新宿御苑仮停車場の図面の写しを拝見することができ、当時の姿を把握することができた。
仮停車場は建坪301坪の平屋で、長さ420尺(127m)もある広大な建築であった(新宿御苑仮停車場建築時の逸話は鹿島建設のホームページ「鹿島の奇跡 第44回」で詳しく掲載されているので、こちらもご覧いただきたい)。平面図と立面図を見ると、現在の高尾駅とは違うイメージとなっていた。特にファサード(正面外観)の屋根の構成が違ったので、部材を再利用したものの意匠的には別物のように思われた。
駅舎のファサード部分を実測することができれば移設時の手がかり掴めると思い、JR東日本八王子支社に取材許可をいだだき、車寄せ側の主要な柱間を実測してみた。駅舎の改札ホールを出た車寄せの間口(まぐち)は18尺(5m45cm)であるのに対し、新宿御苑仮停車場の正面入口は間口が30尺(9m)と一回り広いので、車寄せ部分は高尾駅のオリジナルな意匠であることが解ってきた。次に改札ホールの間口を測ると30尺という仮停車場と同じ寸法であった。柱の大きさと柱間も当初図面と合致した。さらにファサードの柱頭に斗(ます)を乗せ肘木(肘木)で桁を受ける、社寺建築で使われる「組物」で架構を構成する方法も図面と同じだったことから、仮停車場のファサードをこの面に移築したと思われた。
ここを手がかりに図面と照らし合わせると、改札ホール全体が、当時の架構を用いて造られていると推測できた。しかしながら、仮停車場では30尺巾のホールが81尺(24m54cm)もの奥行きで作られていたのに対し、高尾駅舎は奥行きが30尺と半分以下に狭められていた。また正面ホールに対して、東西に下屋が伸びる平面形も、仮停車場では東西に150尺(45m45cm)もあったのに対し、高尾駅舎では54尺と三分の一に縮められており、ファサード以外はかなり大胆に変更しているのがわかる。
移築されたファサードを詳しく見ると、新宿御苑にあった部材で高尾には無い部分があることに気がついた。当初は猪子扠首(いのこさす)という斜めの装飾材が付けられていたが、高尾駅舎には扠首がなくなり通常の束に変わっていたのである。他の装飾は移築されているのに、なぜこの部材だけ高尾には持って来なかったのか?。猪子扠首は神社建築や御所建築に使われる装飾材として知られるが、斗や肘木などの組物とは違い象徴性の強い部材だったと推測できる。大葬用仮停車場を一般客用の駅舎に転用するに当たり、外さなくてはならない部材だったのではないだろうか。無くしてしまえば話題にも上がらなくなるが、当時はそれなりに議論されたことであろう。
高尾駅の北口駅舎は高尾駅周辺整備事業にともない解体され、東浅川保健福祉センター第二駐車場用地に移築される予定だ。まだ北口駅舎を訪れたことのない読者は、是非現地まで足を運んでいただきたい建物である。
【参考文献】
■八王子と鉄道 平成27年/八王子市郷土資料館
(注1)「北鎌倉の家」は曽田甚蔵の建てた自邸をリノベーションしました