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「旧南川小学校 ☆ 誌上エコツアー」 飯能市

  • 建物雑想記
  • 2017.04.15

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旧飯能市立南川小学校には2007年に訪れたことがある。建物調査団の一員として校舎の実測調査に参加したのだ。調査ではあるが耐震診断の基礎資料を作成することが目的だったので、小屋裏や床下の調査で時間切れとなり、建物の意匠をじっくりと見ることができていなかった。今回小誌の取材で再訪することができのは嬉しい限りだ。旧南川小学校には1904(明治37)年に建てられた明治校舎(写真上)と1937(昭和12)年建築の昭和校舎(写真下)があるが、残念ながら小学校は1993年(平成5年)に廃校になっている。その後、明治校舎は地元の集会所等に活用されているものの、昭和校舎は使われておらず、調査時には一部の教室で雨漏も確認されたことから、その後の状況が気になっていた。10年ぶりの旧南川小学校は、時が止まったかのように、以前と同じように存在していたので安心した。昭和校舎は現在も空き家状態が続いているとのことだが、なんとなく全体的に背筋がピンと伸びたような印象を受けた。よく見ると屋根が葺き替えられ、さらに調査時には落ちかけていた昇降口の瓦屋根もきれいに整っており、軒裏の漆喰装飾も見事に修復されていたのだ!。


飯能市は東京都心から約一時間のアクセス圏にありながらも自然環境が豊かな場所である。身近にある自然との共生によって、人々のくらしや文化・歴史、産業が育まれた地域として「エコツーリズム」に力を入れている。2009年には環境省のエコツーリズム推進全体構想の認定も受けている。旧南川小学校はその中で、「自然環境と密接な関係を有する風俗習慣、その他の伝統的な生活文化に係るもの」として、ツーリズムの対象なる観光資源の一つとして位置づけられている。現在はまだ昭和校舎の具体的な用途は決まっていないとのことだが、今後の利活用が期待される。

今回の建物雑想記では、旧南川小学校の魅力を体験する誌上ツアーを皆さんにお届けしたいと思う。まずは二つの校舎をご覧頂きたい(冒頭の写真)。共に木造校舎であるが、外観のデザインが違うだけでなく、建てられている技術も違うのである。建築技術や材料等の視点も含めて校舎を観ることで、ツーリズムがより奥深いものになるはずである。

明治校舎は明治時代後期の建物だが、建築技術的には近世の技術と大差がなく、伝統構法による建築と言える。教育面では1900年には尋常小学校の無料化が実施される等、時代が大きく変化したが、人々の生活自体は江戸時代の延長にあった。その後、昭和校舎は1937年に建築された。当時はまだ西武秩父線も開通していないので、南川での生活はやはり近世の延長と考えられるが、校舎建築は時代を先取りし、近代化したのである。次の世代を担う子供達のために最先端の建物が建てられたと言える。現在に例えるならば、全面ガラス張りのオープンスクールが平成校舎として集落に建つようなインパクトがあったと思われる。

昭和校舎はドイツ下見板張りの洋風建築ではあるが、昇降口は和風にザインされている。瓦の下屋が葺かれ、軒裏は漆喰で塗り籠められている。軒裏漆喰塗籠は防火性能を高める効果があることから城郭建築や商家建築等でよく見られる手法である。関東大震災の教訓から、避難動線の昇降口だけでも防火性能を高めたかったのではないだろうか。下屋の上には洋風の縦長窓と和風の出し桁による出窓になっており、和洋折衷のユニークな外観となっている。昭和校舎を建築構法から見ると、伝統構法と共にコンクリート基礎、トラス構造(洋風の小屋組)、接合部金物等の近代の技術がふんだんに採用されている(2階の廊下には天井点検口が開口されているので、そこからトラス構造を垣間みることができる!)。明治校舎と昭和校舎で共通している技術としては継手や仕口が挙げられ、寸法体系も共に「尺寸」で建てられている。柱と柱を計ると、メートルでは割り切れないことが解るだろう。これは基準寸法が303㍉(10寸=1尺)で建てられているからである。
南川小学校3
旧南川小学校昭和校舎の施工を担当したのは飯能市の港屋と言われている。埼玉県の南西部は江戸時代から西川材と呼ばれる木材の産地なので、校舎も地元の施工業者により地場材を使って建設されたと推測できる。柱は15㌢角(5寸)を基準に、教室の隅柱には21㌢(7寸)もの大断面材が使われている。柱材は杉、床や階段に桧や松が使われていると思われる。

実は昭和校舎(明治校舎にも)の中で南洋材(ラワンと思われる)が使われている場所がある。教室の出窓の四方枠が何故か南洋材なのである。「閉校記念誌みなみかわ」の昭和14年の写真では窓が出窓になっていないので、その後の改修で取付けられたと判断できる。戦前に木材自給率が100㌫に近かった林業が、戦後は降下の一途を辿り、2000年には20㌫を切るところまで下がってしまった。南川小学校の校舎にも南洋材が使われていることから、西川材の産地でさえも外材の影響を避けられなかったことがわかる。窓枠から当時の時代性を感じ取ることができる。

最後にとっておきの見所を紹介して、ツアーを終わりにしたい。校舎東側出入口脇の手洗い器。戦後間もない時期に取付けたものと思われるが、手洗い器の下を覗くと船印を確認できると思う。このマークはTOTOサニテクノ株式会社の前身である藤井製陶株式会社の商標である。この時代の陶器には製造者の想いが商標に現れていることが多く、面白い。そして手洗い器を支える石のような台座は人造石研ぎ出しによる造作だ。通称「ジントギ」と言われる技法で、現在では手間がかかりすぎて簡単には再現できない一品である。

校舎は一般公開されていないが、魅力の詰まった場所なので、リアルなツアーが開催されることを願っている。校庭はツーリズムの会場になったこともあるので、興味のある方は飯能市に問い合わせて頂きたい。

【参考文献】
■閉校記念誌みなみかわ/南川小学校閉校行事実行委員会編/平成5年