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「旧都立農林学校講堂」 青梅市

  • 建物雑想記
  • 2017.05.16

都立青梅総合高等学校に旧農林学校時代の講堂が残されているとの情報を頂き、まだ雪の残る二月に取材に訪れました。学校の「講堂」という場所には、その学校の核ような、アカデミズムの殿堂的な響きがあります。私も都立高校の出ですが我が母校には残念ながら講堂はなく、入学式や卒業式等の行事は体育館が代用されていました。あくまでも体育館なので、空間だけが存在するような感覚で、胸が踊る場所ではありませんでした。「講堂」のある学校は私にとって憧れでした。どのような学校に講堂があるのか調べてみると、公立では旧制中学校が前身の高等学校には講堂を持っているケースが多いことがわかりました。旧都立農林学校もその前身は東京府立農林学校と明治42年に設立された歴史ある学校です。


このコラムでは数多くの洋風建築を紹介してきましたが、その大半は和風の中に洋風要素を取り入れた愛らしい洋風建築達です。そのような中で旧農林学校の講堂は五本の指に入る程の上質な建物で、正に講堂らしい洋館でした。東京都教育委員会による東京都近代和風建築総合調査で、この講堂の実測調査を行っています。ここでは千葉工業大学河東義之教授(当時)の所見を参考に建物の魅力を紹介したいと思います。
旧都立農林学校講堂00
建物は昭和11年(1936)の建築で、施工は岩浪組(地元青梅の建設会社で、現在の岩浪建設株式会社)です。外観は南北に妻壁のある切妻屋根の建物です。正面となる南側の妻壁面は梁間方向に八間もあり、ややもすると、のっぺりとした外観になりがちですが、壁面の装飾により講堂のファサードがデザインされています。外壁はドイツ下見板にペンキ塗り、妻壁は漆喰塗りで小屋束や桁梁が壁面に露わになったハーフティンバー形式で造られています。特に小屋束が桁梁に刺さったような取合いは外観のポイントになっています。実際の梁に束を貫通させるのは大変な仕事ですが、全て装飾材となっています。外壁の両角に見える柱も付柱で実際の構造柱はその内側にあります。

洋風建築の窓は「縦長」で、和風の窓は引き違い窓の「横長」であることは、このコラムで度々お伝えしているポイントです。しかしながら引き違い窓を縦長のプロポーションで造ると、開閉しにくくなる欠点があるため、使い勝手とデザインの狭間で設計者は悩むところとなります。ここでは、横長の引き違い窓と、横軸回転窓を上下に組み合わせた連窓にすることで、全体として縦長窓の構成になっています。使い勝手を維持しながらもプロポーションを整える工夫と言えます。この横軸回転窓は採光だけでなく、講内の換気窓としても重要な役割を担っています。
旧都立農林学校講堂01
妻面の上部には平屋建ての建物にも関わらず、二階の高さにガラス窓が付いていますが、室内側から窓を確認することができない不思議な造りになっています。後の改修で窓が残ってしまったのかと推測しましたが、報告書では次のような謎解きがありました。「講堂の切妻屋根は南北の妻壁上部に設けられた窓も含めて、あくまでも外観の意匠を優先させたものと考えることができる。」ここまでやれた時代なのだということを、改めて実感しました。

内部は桁行14間×梁間8間(112畳)の大空間が構成されています。外観のコロニアル風の意匠とは変わり、アールデコ(1910年から1930年代に欧米で流行した装飾美術)のエッセンスを感じ取ることができます。特に演壇周りは柱型や階段を含めて一体としてデザインされた空間となっており、完成度の高さには目を見張るものがあります。大梁の端部には階段状の装飾が施してりますが、このれは大梁を支える斜め梁を隠すための装飾と思われ、演壇を強調する効果を狙ったデザインと考えられます。ところが連窓上部の中軸回転窓の菱形格子は、外観のアクセントにはなっていますが、室内から見る斜めの線は装飾過多に感じられました。コロニアルなのか、アールデコなのか、窓に設計者の葛藤が見え隠れしているようで面白いです。報告書の締めくくりには「内部外部とも端正かつ風格のある意匠でまとめられているが、特に南北妻側の外観は秀逸である、保存状態もよく戦前の実業学校の講堂として貴重な遺構である」とあります。私も同感です。しかしながら、その後、講堂の耐震診断が実施され「大地震時に倒壊の恐れが高い」との結果から、講堂は閉鎖され、現在では存続が危ぶまれる状況になっているようです。
旧都立農林学校講堂03
東京都近代和風建築総合調査は、都内に現存する明治から昭和20年までに建設された「伝統的様式や技法(一部洋風の様式も含む)で建てられた木造建築物」を対象に調査が行われ、特に価値の高いと判断された重要遺構については詳細調査が実施されました。旧都立農林学校講堂は詳細調査まで行われた貴重性の高い建物です。耐震診断は旧耐震基準(昭和56年以前)で建てられた建物に対し、現行の耐震基準で評価した場合にどのくらいの耐震性があるか評価するものです。旧耐震基準で建てられているので、耐震診断を実施すると基準を満たさない結果になることがほとんどです。耐震性が低いという結果から、施設の閉鎖や取り壊しに発展してしまうのは残念に思います。

学校の沿革を経て、現在の講堂は都立青梅総合高校の建物になっています。都立青梅総合高校は前身が農林学校であることから、広大な敷地と演習林を有する恵まれた環境にあります。講堂は旧都立農林学校時代の唯一の建物で、そして木造校舎は農林学校における林業の集大成と言っても過言ではありません。講堂に使われている柱は18㎝角もの太さがあり、樹齢は80年以上と推測されます。2016年で築80年となるので、やっと樹齢並の建築年数まで到達したことになります。木材の循環を勘案すると、少なくとも樹齢と同等の年月を建物として活用されない限り木材資源が枯渇してしまうことになります。そのような視点にたつなばら、講堂もようやく年季明けしたところ言えるのではないでしょうか。

ペンキの剥がれや一部木部が腐朽してるところも見受けれますが、それは築80年の歳月による経年劣化の範囲に過ぎず、修繕すれば問題無く直る範囲です。旧都立農林学校講堂は東京都の施設で、都の総合調査でもその貴重性は明らかになっています。耐震補強と修繕を行い、都立農林学校時代の遺産として、林業の成果物の生きた手本として、次の世代に受け継いでほしい東京の財産です。そして何よりも、学校にしかるべき「講堂」があることは、生徒にとっても嬉しいことではないかと、私は思うのです。

【参考文献】
■東京都の近代和風建築 東京都近代和風建築総合調査報告書 東京都教育委員会 平成21年