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「国際基督教大学創立時のキャンパス」 三鷹市

  • 建物雑想記
  • 2015.02.16

国際基督教大学(ICU)を訪れたのは2014年、東京に大雪が降って間もない頃だった。まだ新緑の時期には早すぎる季節だったが、樹々の中に建物が点在する自然豊かなキャンパスであることが感じとれた。ICUは戦後にできた大学との認識があったため、古い建物は無いと思っていたが、調べてみるとヴォーリズ建築事務所とレーモンド設計事務所が初期のキャンパス計画に携わっていること、その後は、前川建築設計事務所による博物館等、著名な建築家が設計していたことがわかった。建築好きにはうらやましい環境で、個々の建物をじっくりと見て回りたいところであるが、ここはレトロカメラマン伊藤龍也氏の「洋風建築への誘い」と共に多摩に現存する洋風建築を紹介する趣旨なので、創立時の建物に絞って話を進めたい。
ICU本館


国際基督教大学は1949年に創立された。キャンパスには旧中島飛行機三鷹研究所跡地の広大な土地が用いられ、大学の施設としては研究所の本館を増改築し、スタートしている。中島飛行機三鷹研究所がこの地にできたのが1943年と終戦間際だったため、研究所として使われたのはほんの数年であった。戦後の財閥解体と施設の売却で多くの軍需関連施設は姿を消したが、研究所は大学の校舎として再生され、築70年を超えた現在でも大切に活用されている。

1947年撮影(国土地理院HPより)旧中島飛行機三鷹研究所

1947年撮影(国土地理院HPより)旧中島飛行機三鷹研究所



大学創立当時のキャンパス計画を担ったのはヴォーリズ建築事務所であった。W・M・ヴォーリズ(1880〜1964年)はキリスト教の伝道師としてアメリカから派遣され、建築行為もキリスト精神の表現の一つとして捉えていた建築家(1941年に日本国籍に帰化)で、数多くのミッション・スクールを設計したことで知られる。アメリカの中西部の出身だったこともあり、スパニッシュ・スタイルを得意としたが、建築様式(スタイル)そのものを表現することを目的とせず、建物の使い心地、能率や機能性、そしてクライアントの要望の中で様式を選択していた。代表作である神戸女学院大学(1933年竣工)は2014年に国の重要文化財に指定されている。また「メンソレータム」を最初に日本で製造・販売したことでも有名である(拠点を近江八幡に置いてたことから関東での作品は少なく、多摩では武蔵野市の日本獣医生命科学大学のサークル棟として使われている「ヴォーリズ館」が残っている。

初期のキャンパス計画でヴォーリズ建築事務所は本館(1952年竣工)、大学礼拝堂(1954年竣工)、ディッフェンドルファー記念館(現東棟、1958竣工)、シーベリー記念礼拝堂(1959年竣工)を担当している。本館は旧中島飛行機三鷹研究所本館の増改築と建物の位置は変わらないので、大学礼拝堂をどこに配置するのかが、キャンパス計画の中で最大のポイントだったと思われる。大学礼拝堂は天文台通り(都道123号)から西に一直線に伸びるアプローチの終端に位置し、キャンパスの中心に配置された。キリスト教の精神に基づいた大学に相応しい配置である。大学礼拝堂に関しては、元々は旧中島飛行機三鷹研究所時代の格納庫、天文台通りから伸びるアプローチは滑走路であったという説もあるが、当時の空中写真を見る限り、格納庫らしき建物は確認できない。

1961年撮影(国土地理院HPより)ICU開学後。本館を4階建てに増築、大学礼拝堂(増築)、図書館が竣工し、芝生広場に面する建物が整ったのがわかる

1961年撮影(国土地理院HPより)ICU開学後。本館を4階建てに増築、大学礼拝堂(増築)、図書館が竣工し、芝生広場に面する建物が整ったのがわかる



ヴォーリズはこの時既に70代なので、第一線で設計を行っていたとは考えにくいが、『ヴォーリズ建築の100年』の中に、ヴォーリズが1955年にICUの初代財務担当副学長ハケット氏に送った興味深い手紙が紹介されている。学生会館のパラペット(屋上部分の外壁の立上り)の納まり図を送っているのだ。詳細な取合いを指示するには、工事の内容を把握していなくてはならず、少なくともICUのキャンパス計画ではヴォーリズ本人が主体的に関わっていたと考えられるのだ。このことからも大学礼拝堂の位置をヴォーリズが「この位置しかない」と決定したと考えたい。

ヴォーリズは1957年に蜘蛛膜下出血で倒れ、療養生活の末、その7年後に永眠する。そのため、大学創設期のキャンパス計画の中でも、ヴォーリズ本人が関わったのは本館と大学礼拝堂の二棟までと考えられる。その後、レーモンド設計事務所が大学礼拝堂の増改築と図書館を新築(共に1960年)し、芝生広場を囲むICUの主要な施設が整うのである。

このように書くと芝生広場はヴォーリズとレーモンドのコラボレーションのように読み取れるかもしれないが、実際の建築群から受ける印象はレーモンド的なイメージの方が強い。特に大学礼拝堂はヴォーリズの手がけた建物をレーモンドが増改築したものだが、礼拝堂はレーモンドの代表作の一つである聖アンセルモ教会を彷彿させ、建物から受ける印象はレーモンドそのものと言える。

ICU-礼拝堂
A・レーモンド(1888年〜1976年)もアメリカの建築家で、東京女子大学をはじめ多くのミッション系の建物を手がけた。ヴォーリズが伝道師として来日し、その活動の一環として建築に携わったのに対し、レーモンドは大学で建築を学び、F・R・ライトに師事して来日した建築家で、日本からモダニズムを極め、牽引した人物であった。レーモンドの建築は造形の完成度が高く、洗練されているかもしれないが、僕はヴォーリズのやさしい建築も好きである。ヴォーリズが芝生広場を囲む一連の建物を設計していたら、どのようなキャンパスになっていたのだろうか……思いを馳せてみた。

【参考文献】

■『ヴォーリズ建築の100年』山形政昭 監修 株式会社創元社 平成20年(2008)
■大学ガイド2013年 国際基督教大学
■地図・空中写真閲覧サービス 国土地理院ホームページより地図・写真を抜粋