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「JKK東京 平尾住宅 B型住戸」/稲城市

  • 建物雑想記
  • 2021.11.28
前号までは集合住宅の歴史について述べてきたので、今回からは現役の古き良き集合住宅を紹介したい。「住宅」という用途上、実際に住まいとして使われている住戸を取材するのは難しいと思われたが、集合住宅には賃貸と分譲があり、幸いにも賃貸集合住宅の空室を取材することができた。

平尾住宅 住棟 階段室側からの外観 標準の住棟には階段室が5ヶ所あり、1棟あたりの住戸数は50戸



階段室型の住棟
JKK東京よる多摩丘陵の団地の事例として稲城市の平尾住宅を見てみよう。ここは昭和45年に建設された団地で、41棟、1650戸からなる大規模な開発であった。敷地内には店舗、教育施設、さらに郵便局や市役所の出張所もあり、一つの町ような構成になっている。丘陵地を巧みに造成した住棟配置は他に類を見ない独特な計画だが、ここでは配置計画は割愛し、住棟に話を進めたい。


基本となる住棟は鉄筋コンクリート造の5階建てで、各住戸は階段室型の配置となっている。階段室型は上図のように各階の住戸が階段室の両側に直接面している造りで、廊下を介さないため、各住戸の窓を建物の外壁に直接設けることができる。この時代の多くの中層集合住宅に採用された住戸配置である。通風とプライバシーを同時に確保できる居住性の良い配置となる一方、各階の階段室には二戸しか設けることができず、戸数を増やすためには階段の数を増やす必要がある。取材した住棟には階段室が五カ所あり、現在の感覚では贅沢な造りとなっている。



一般的な集合住宅では片廊下型を採用することが多い。この型は階段室の数ではなく、共用廊下を長くすることで戸数を増やすことができ、合理的(経済的)な配置となる。しかしながら、共用廊下側の部屋は窓を開けると室内の状況が筒抜けになり、窓を閉めていても廊下の気配が感じられるなど、居住性の悪さが弱点となっている。


それでも階段室型ではなく、片廊下型の集合住宅が多く建てられているのはエレベーターとの相性がよいことが最大の理由だろう。昭和50年代になると集合住宅にもエレベーターが普及し、経済性だけでなくバリアフリーの観点からも片廊下型とエレベーターのセットが主流となっている。


集合住宅で階段室型が採用されたのは、居住性に利点があったことは既に述べたが、住戸を増やすためには階を積み上げて戸数を確保する必要があり、五階建てまでは日常的に登り降りできる範囲とされた。当時の和室を中心とした生活では大型家具や家電の持ち込みは想定されていなかったことなども、五階建てが許容された理由の一つとして挙げられるだろう。


階段室型でも上り下りする高さを少しでも押さえるために、階の高さを約2.6mと低く設計している(階の低さは建設費の削減にも寄与しているが、現在のマンションの階高は、低くても3.0mである)。さらに、階段室の入口の天井高さは1.85mと究極の低さとなっている。この並々ならぬ低さへの挑戦も、当時の階段室型の特徴と言える。


B型住戸
平尾住宅の代表的な間取りの一つに2DKのB型タイプがある。この間取りは二つの和室が襖で隣接する「続き間」となっているところが特徴で、JKK東京の初期の大型団地である多摩川住宅(昭和41年建築)でも採用された間取りである。


現在では畳の敷いてある部屋を「和室」と呼ぶことが多いが、昭和40年代頃までは畳敷の部屋が主流だったため「和室」と言う呼称も一般的ではなかった。個々の部屋は襖を介して配置され、建具を外すことで隣接する部屋を一間として使える「続き間」が日本家屋の構成であった。使い勝手に応じて、部屋の広さを変えることができた。このような間取りを集合住宅に引き継いだのがB型住戸なのである。




続き間 6帖から4.5帖を見る(襖を開け放った状態)


B型住戸は昭和45年頃まで造られ、その後は部屋が隣接しても間仕切り壁が設けられるようになり、個室としての独立性を高めた配置へと変化していく。もちろんB型住戸でも和室はそれぞれ独立した部屋として使えるように押し入れが各部屋に設けてある。


B型住戸には続き間以外の独立した部屋は無く、玄関、廊下、台所さらに食堂としても機能する五帖程の板の間が付属しているだけである。最小限の広さの中に、当時求められていた「寝食分離」と「就寝分離」の生活を送るための間取りが用意されていた。


和の寸法
間取りだけでなく高さにも伝統的な寸法が引き継がれている。木造建築では敷居の上端から鴨居の下端までの距離を「内法」と呼び、建物のプロポーションを決める重要な寸法となっている。B型住戸の内法は1.75m(約五尺八寸)と近世から使われてきた標準的な内法を採用している。敷居、鴨居の取り合いには柱を建て、壁には付鴨居をまわす等、室内の意匠も在来木造に準じている。鉄筋コンクリート造の中に木造の内装をそのまま取り込んだ造りとなっている。

左上:4.5帖の角柄、右上:続き間の柱、左下:4.5帖(6帖の襖を閉めた状態)、右下:板の間(左右の天袋の間に柱がある)



内装で注目したいのは、四畳半にある押入の枠の取り合部分で、「角柄」の意匠を見ることができる(竪枠が鴨居上端から突き出た部分、写真参照)。当時の現場は間取りの標準設計があっても、細かい部分は職方に任されていたと考えられる。竪枠を出した理由は如何に…。この部屋を担当した大工は数寄屋をイメージしていたのかもしれない。

畳は広さの指標
土地や建物の広さに「坪」を使うことに読者の皆さんは違和感はないだろう。一坪はおよそ畳2枚分の広さで、厳密には尺貫法による六尺角の面積(3.30㎡)としている。同様に部屋の広さを「畳」や「帖」で表すが、こちらは正に畳の枚数で広さを示している。座って半畳、寝て一畳と言われるように身体感覚に即した指標と言える。昨今では和室のない家が主流となり、マンションや建売住宅の広告には「帖」ではなく「J」という表記を使うケースが増えている。

実態が無くなりつつあるのに、指標として使われているのは、過去の空間体験が感覚として存在しているからであろう。しかしながら今後、畳敷きの部屋で生活したことの無い世代が増えると「J」も今以上に曖昧になると推測される。日本の住まいの空間認識が現在過渡期に差し掛かっていると言える。


平尾住宅では昭和45年に建てられた住宅が、当時の間取りのまま残っており、スクラップアンドビルドが主流の賃貸市場では奇跡的なことである。これはJKK東京による定期的なメンテナンスと管理の賜物だ。賃貸住宅とて現役の物件なので、「J」の空間体験のできる住宅ストックとして貴重な存在となっている。是非、若い世代に住んでもらいたい物件である。


取材では、JKK東京に協力いただき、空き物件を取材させていただきました。この場を借りてお礼申し上げます。

参考文献
・「東京の住まいとともに」昭和62年 JKK東京
・「住宅金融公庫40年史」 平成2年 住宅金融普及協会