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「建物の耐用年数とその価値」 玉川学園礼拝堂 町田市

  • 建物雑想記
  • 2007.05.01
建築の設計をしていると、必ずと言っていいくらい「この建物は何年持ちますか?」という質問をクライアントから受ける。「50年は持たせたいですね」と僕は答える。読者の皆さんは何でもっとはっきりと50年持つ、100年持つ、と言わないのかと少し疑問に思うだろう。普通の木造の住宅でもちゃんと維持管理すれば100年は使えると僕は思っている。この「維持管理」という行為が「何年持つ」とう耐用年数と直接リンクしているのだ。つまり、使う側の建築との接し方に左右されるのである。

物がどれくらい使えるのかという基準には様々な考え方がある。一般的に「耐用年数」は、固定資産の減価償却費の計算根拠となる年数として財務省令で定められている。この場合、木造建築は24年、コンクリートで50年となっている。身近な物ではパソコンは4年、自動車(自家用車等)は6年となっているが、パソコンは4年で使いつぶすと考えれば妥当な年数で、その間に部品の交換や修理が必要ないことが前提となるだろう。自動車はどうだろうか?6年の間に一回も整備しない人はいないだろうし、車検も二回は受けなくてはならない。耐用年数が過ぎなくても日常のメンテナンスが必要なのである。

木造住宅の24年という年数は少し議論の余地がありそうだ。住宅はパソコンのようにそのまま壊れるまで使える物ではなく、自動車のように維持管理が必要な部類に入る。外壁や屋根の防水等は経年変化と共に劣化するので5年、10年という単位で修繕を行う必要がある。マンションなどでは長期修繕計画等が管理組合によって決められ、計画的に維持管理が行われているが、建物には車検のような法的な強制力のある検査がないので、個人住宅の場合はなかなかそこまで計画的に修繕を行うのは難しいようである。

日本建築学会では耐用年数の定義として建物の機能、性能が劣化によって低下して限界を超え、かつ通常の修繕や一部分の交換などを行っても、回復しないであろうと考えられる状態になった時としている。

木造の場合は構造となる柱や梁が損傷を受けたとしても、損傷部分の部分交換を繰り返すことによって半永久的に建物を維持する事が可能だ。法隆寺などの寺院建築がこの例である。一般的な建物ではそこまでする必要がないので、やはり50年という年数が一つの基準になると思うが、この数値でも定期的な修繕なしには成り立たないのである。

この50年という年数は区切りがいいからということで出た数値ではなく、木造住宅の場合、40年材(樹齢40年の木から取れた材料)、50年材の構造材を使うことが多いので、樹齢よりも早く建物を壊してしまっては木材の生産が追いつかなくなってしまうという理由から出て来た数値である。もちろん100年持たすことができるとしたらそれに越したことはないが、その場合はそれなりの修繕が必要となることは理解して頂けると思う。
修繕以外に建物の長持ちさせるための重要な項目がもう一つある。それは建物を「使い続ける」ことである。人が建物の中で生活することにより、空気の移動、換気が行われ建物をより良い状態に保つことができるのだ。竣工して10年くらいは何の手入れをすることもなく普通に使えるかもしれないが、ペンキ等の塗り物やコーキング等の防水系は五年、給湯器などの住宅の設備器機も一般的に15年も経つと不具合が生じるてくるケースが多い。建物の中で人が生活していれば不具合の早期発見も可能で、その都度の適正な対処は建物の寿命を延ばす事に繋がる。

建物を使わなくなってしまうと、小さな不具合の発見が遅れ、新たな不具合を引き起こし、手の着けられない事態を招く結果となってしまうこともよくある。建物の損傷が大きい程、それを修繕するのに多大な費用がかかってしまうので、解体という選択肢も自ずと出てくるだろう。木造住宅の減価償却年数が24年というのは、放って置くと24年くらいで、新築と同等の修繕費用がかかりますよという財務省からのメッセージとも言えるのではないだろうか。
建物を丁寧に使い続けている好例が今回見学さていただいた玉川学園の礼拝堂である。この建物は昭和五年の竣工というから今年で築七七年にもなる。人間で言えば喜寿を迎えたことになるが、適正な修繕が行われているからこそ、長持ちしていると言えよう。丘陵の尾根という敷地条件は建築的に見ると決して素直な地盤とは言えないが、先人が知恵を絞って揺るぎのない基礎の上に礼拝堂を建てたことで、今でもしっかりと凛々しい姿を見上げる事ができる。

現在の礼拝堂は竣工当初の姿とはちょっと変わっている。基本的な外観や内観を維持しながらも、外部廊下の変更、構造補強、外壁の張り替えなど、度重なる修繕を経て今日のような姿になった。建物の用途は礼拝堂としての機能だけでなく、課外活動などの発表の場として、昔も今も変わること無く利用されているという。私が見学した時も演劇の練習が行われており、賑やかな声が礼拝堂を包んでいた。

2000年にはキャンパス内に新しいチャペルが竣工したが、学園は礼拝堂を解体することなく、今まで通り使い続ける英断をした。先ほどの原価消却の事と繋がる話だが、築年数の経た建物はある時点で修繕費が当初の建設費や同等の規模の建物を建設する費用を上回る時がやってくる、築77年になる礼拝堂は既にそうなっていると予想される。それでも建て替えなかったのはそこに残す価値があったからだろう。
建物雑想記 玉川学園礼拝堂
古い建物を残す価値はどこにあるのか……。2月に文京区の根津教会(大正8年築:南京下見板張りの木造教会で国の登録有形文化財でもある。現在礼拝堂を含めた改修計画が進行中とのこと)で行われた講演会で鍋谷牧師が次のようなことを述べていた。

古い物がいい、懐かしく感じるという
回顧主義的な思いだけでは建物を残す意味がない。
その建物が未来への創造に繋がる「美意識」を使う者、
見る者に与える建築だからこそ、残す価値がある。

我々建築関係者は建物の意匠や構造の歴史的な位置づけから、その建物の価値を判断することが多いが、建物と実際に関わっている人の「美意識」に対してその建物がどう存在しているのか、ここが重要なのだと改めて感じた。極論を言うならば文化財だから残すという発想事体、権威的な囲い込みなのかもしれない。
玉川学園の礼拝堂が文化財の指定や登録を受けていないことを知り、正直驚いた。これほどの建築であれば登録文化財の申請をすれば、間違いなく登録される文化財的な価値の高い建物だが、学園側は特にその必要性を感じていないようだ。学生から愛されている礼拝堂を見ていると文化財か否かは大した問題ではないと思った。所有者の立場で建物の価値を適切に判断し、維持管理して行くという学園側の姿勢こそが本来あるべき姿なのだろう。
見学を終えて、学園の敷地内を散歩して帰った。丘陵地に広がるキャンパスには稜線沿いに道路が配置され、点在する建物を結んでいる。緩やかなカーブと高低差、新旧の建物が樹々の間からリズミカルに視界に入ってくる。二つ以上の建物が同時に視界に入らないようにキャンパス計画がなされたという。こういう場所で学生生活を過ごすことができたら幸せだろうなと思いつつ、学園を後にした