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「洋館の屋根」 国立療養所多磨全生園 東村山市

  • 建物雑想記
  • 2011.02.01
国立療養所多磨全生園の旧図書館は120m2程の木造平屋建てのやさしい建物だ。建物に対してこのような表現を使うのは不適切かもしれないが、建物の規模や形、色合いからそんな印象を受けるのである。玄関を中心に切妻屋根を持つ部屋が左右対称に配置された平面形で、小さな平等院鳳凰堂のような感じといえばイメージし易いであろう。
建物雑想記 全生園旧図書館
この建物は昭和11年(1936)に建てられたが、当時上野で開催された「海と空の博覧会」の旧材を使用したという説や、また、この年に旧帝室博物館の解体材の払い下げを受けているので、その材料を使用したという見方もあるようだが、定かではない。しかしながら、園内の建物と比較すると、旧図書館は他の建物と違って、軽やかで小気味良い外観からも外部のデザインが入って来たというのは納得のいく話である。昭和50年頃まで図書館として使われており、その後大きく間取りを変える事なく、理髪・理容室として改修され、現在に至る。玄関を挟んで左が理容室、右が理髪室となっている。
屋根は波形のスレート葺きで、建物全体のイメージからするとやや見劣りする素材で葺かれている。そのため遠目で見た時の感動が、間近で見た時に半減してしまうのが残念だ。建築時の昭和11年にこの素材があったとは思えないので、図書館を理髪・理容室に改修する時に屋根を葺き替えたと想像できる。
屋根周りで特筆すべき部分は切妻面の意匠だ。軒の端部と破風板を支える持ち送りのデザインは、細部まで考え抜かれたディテールで、この建物の最も特徴的な意匠をつくっている。小屋裏換気のグリルもこの切妻面に盛り込んであり、設計者が意匠だけでなく建物の性能面もしっかりと計画していたことが伺える。
全生園旧図書館図解
外壁はイギリス下見板張りで、厚さ20ミリもの厚板が張り上げられている。また、下見板を押える窓枠や付柱にはササラが切ってあり丁寧な仕事が施されている。さらに、下見板を見切る土台等の上には水切り板金が巻いてあり、雨対策も手を抜く事なくしっかりと施工しているのだ。このようなディテールを見ていると、仮設用途の博覧会の旧材を使用したのではなく、旧帝室博物館の解体材の払い下げ材で図書館を建てたのでは……と推理したくなる。外部に面した主要な窓は洋館なのでも言うまでもなく縦長窓となっている。現在はアルミサッシに変わっているが、当初は木製の上げ下げ窓だったようだ。

さて、旧図書館は確かに洋風な建物だが、いわゆる西洋の洋館とはどこかが違うような気がするのだ。これはこの旧図書館に限ったことではなく、今までこの建築雑想記で紹介してきた洋風建築に共通することで、この違和感はどこにあるのか気になっていた。以前この連載(118号)で洋館をイメージさせるデザインコードを探った時は、「和風建築でないデザイン」が洋風であると締めくくった覚えがある。逆に正当な、トラディショナルな洋館になるためには「何」が足りないのだろうか?最近、中世イギリス風の洋館を計画する機会があり、この難題に取り組むことができた。窓を縦長にしたり、外壁に板を張ったり、ハーフティンバーで外壁を装飾したり洋風に見せる要素はいろいろとあるが、決定的な要因ではなかった。思考錯誤の末、辿り着いたのは屋根の勾配である。屋根の勾配が緩いと洋館に見えないのだ。
屋根勾配
瓦で屋根を葺くためには四寸勾配よりもきつくする必要があるが、六寸勾配より急にすると、屋根にも足場が必要になり、コスト上もメンテナンス上も不利になる。また七寸勾配を超えると急すぎて瓦では葺けなくなる。そのような事情から四〜六寸の屋根勾配で設計していたが、これでは「洋館」のフォルム(形)にならないのである。ちなみに国立療養所多磨全生園の旧図書館の屋根は約五寸勾配なので、このことからも当初は瓦葺きだった可能性が高い。では「洋館」になるための勾配は……。それは10寸勾配程度、つまり屋根の角度にして45度の傾斜ということになる。

10寸勾配もの急な屋根を必要とする訳は、西洋建築の多くは天然スレート(板岩)で屋根が葺かれていたからである。天然スレートは釘で葺き上げる施工上の問題から緩勾配にできない。材料自体は厚さが六ミリ程度と薄く軽い屋根材なので、構造上も理にかなった材料である。西洋では元々石材を建築に多く使用するので、屋根に使う石材も安価に入手できたと考えられる。つまり、急勾配の屋根は西洋の地域性に由来するフォルムであったことがわかる。
洋風な建物を建てるのであれば、屋根もしかるべき勾配(素材)で建てるべきだと思うかもしれないが、天然スレート葺きは瓦よりも軽い分、雨が多く台風の来る日本の土地柄ではスレートが吹き飛ばされる危険があった。また、国内では天然スレートが高価な素材だったこともあり、あまり葺かれることがなかった。

日本の洋風建築の多くが屋根を急勾配にしないで、瓦をそのまま葺いているのは、西洋建築が日本に伝わって来たルーツが二つに大別されることに要因があると思われる。一つはコロニアル様式という東南アジア経由の植民地建築から派生する高温多湿な気候風土に適応された洋風建築だ。これらは雨や台風の洗礼を受けた建築なので、天然スレートにこだわることなく、地場の屋根材(日本の場合は瓦)で葺かれていて、既に緩勾配のフォルムになっていた。日本で建てられた木造洋風建築の大半はこちらの部類に入る。もう一つは、西洋から直接伝わったアカデミックな西洋様式建築である。これらは、帝国大学出の建築家によって設計されたような華族等の邸宅や官庁建築等の大規模な建築に多く、西洋由来の天然スレートが使われたのである。この二つの違いは、外観が洋風であることで近代性を享受できる場合と、洋風ではなく西洋様式建築でなければステイタスが維持できない場合との違いと言い換えることもできるだろう。旧図書館の外観に対して「やさしさ」を感じたのは、コロニアル建築由来の角の取れたおおらかさからくるイメージだったのではないだろうか。
伝播イメージ
この建物は昭和初期の洋風建築という建築的な価値だけでなく、多磨全生園の歴史を長年見守ってきた建物として貴重な存在と考えられる。「人権の森」の生きた建造物として後世に残して欲しい建物である。

【参考文献】
「東京都の近代和風建築」東京都近代和風建築総合調査報告書 平成21年 東京都教育委員会
「日本の近代建築」(上・下) 藤森照信 岩波新書