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「伝統様式から国際様式まで」 多摩湖取水塔他 

  • 建物雑想記
  • 2009.08.01
都内には戦前に建てられた西洋様式建築風の水道施設が数多く現存する。今回見学した山口貯水池、村山下貯水池の施設も、その例外ではなく魅力的な様式建築だった。建物に求められている機能からすると、これらの意匠は特に必要不可欠なものではなく、あくまでも装飾なのだが、それぞれの個性を競うように異なった外観で設計されている。今回はそんな水道施設の意匠を探ってみたい。
建物雑想記 村山第一貯水棟
村山下第一取水塔は大正14(1925)年竣工の建物である。構造は鉄筋コンクリート造で、外装にタイルと御影石を使った重厚感のある上品な建物である。建築様式を分類するならばネオ・バロック風の特徴がみられる建物と言えよう。バロックは一七世紀から一八世紀にかけて展開された様式で、華麗で複雑な曲線を用いた意匠が特徴だ。第一取水塔でバロックな部分は、双柱(柱を二本づつまとめて並べる手法)とやや大人しいが屋根飾を挙げる事ができる。そして、付柱の基壇と頭部にはギリシア建築の流れを組むドリス式のオーダーを見ることができる。

第一取水塔の奥にある第二取水塔は昭和48(1973)年の建物で、二つの塔は同じデザインだと言われている。今回の取材では雨が降っていた事もあり、手前の第一取水塔を見た後は第二取水塔を失敬して山口貯水池に移動してしまった。後で写真をよく確認してみると一見同じように見えた塔が微妙に違うことに気付いた。第二取水塔ではバロックの特徴である双柱が単柱になっており、窓や入り口廻りの装飾も直線的に簡略化されていた。しかしながら、第一取水塔越しに見る第二取水塔は、遠近感の作用で適度にデフォルメされ、双子のように見える。第二取水塔は設計段階から第一取水塔の背景になることを意識し、第一取水塔を引き立て役に徹したように思われる。第一取水塔のイメージを残しながら、何処まで装飾を排除できるか、塔の設計者はそんな難題を解いていたのではないだろうか。第二取水塔が建築された時代は正に高度経済成長期、機能一辺倒の四角い箱を造って終わりにしてもおかしくない時期に、ここまで景観に配慮した装飾を施す事ができたことは、特筆に値するだろう。
建物雑想記 山口第一取水塔山口第一取水塔は昭和8(1933)年の建築である。湖に浮かぶ塔に吊り橋が架かったような外観は、ヨーロッパの古城を彷彿させる。外観のイメージは西洋様式建築ではあるが、いわゆる「様式」という観点から見ると、ギリシア建築で基本となる柱のオーダーが見られないので、限りなく様式を排除した近代建築と捉える事ができるだろう。

そしてもう一つ着目したいのは、外壁のタイルの使い方である。タイルの張り方は「馬目地」と「芋目地」に大別されるが、西洋建築の外壁の基本は組積造なので、基本構造が鉄筋コンクリートになっても、意匠を様式建築にする場合は、外壁を石積みや煉瓦積みに見せるために「馬目地」にしていた。これは組積造で「芋目地」にすると目地が十字に通って崩れ易くなるので、一般的には行わない積み方だからである。山口第一取水塔では外壁を装飾するスクラッチタイルを「芋目地」に張っている。組積造のように見せていた外壁に「芋目地」を採用するのは様式建築からの脱却と言えよう。外壁を装飾する素材として、純粋にタイルを使った新しい時代の張り方なのである。
建物雑想記 多摩湖取水塔
ちなみに村山下第一取水塔の外壁もタイル張りであるが、ここはネオ・バロック様式の建築なので、馬目地で組積造らしく見せている。

吊り橋の陸地側には山口貯水池管理事務所が建てられているが、この建物には装飾的な要素が一切なくコンクリートの壁と屋根だけでデザインされていると言っても過言ではない。このような建物が山口貯水池に建っていることをまったく知らなかったので、ぞくぞくするような感動を覚えた。このような意匠をモダニズム様式(インターナショナル・スタイル)と言い、1910年代から西欧で興った建築様式で、当時最先端のデザイン思潮であった。
建物雑想記 山口貯水池管理事務所
管理事務所の外観からは様式建築のような装飾が無くなっているが、建物と湖の関係をみると、様々な工夫が盛り込まれている。まず目に入るのは、二階の陸屋根がそのまま延長された半円形の庇だ。鉄筋コンクリートの登場によりこのような平らな屋根が可能になった。また、湖に眺望のいい方向に半円形の部屋を突き出し、その前には広々としたテラスが設けられている。湖畔に建つ建物ならではの間取りで、ここから望む夕景はさぞかし絶景に違いない。モダニズムが単に装飾を排除しただけの思潮ではなく、空間的には実に豊かな建築であったことが読み取れる。 東京の近代水道の歴史を調べていると「第一水道拡張事業」という計画があったことがわかる。江戸から東京市へと移行するに当たって、日本の首都として人口が急増した東京の給水を、安定的にかつ衛生的に確保するための壮大な事業であった。大正2(1913)年に始まり、昭和9(1934)年の山口貯水池の完成を経て、昭和12(1937)年に24年もの歳月をかけて、ようやく東京の近代水道が整った。水道施設の意匠を見ると、どうも近代水道の完成が、デザイン面でも一つの節目だったように思える。そんな視点で見ると、山口貯水池は東京における水道施設デザインの集大成的な存在のように見えるのである。

近代水道施設を概観すると、ギリシアの神殿造りを模した物、ローマのコロセウムを連想させる巨大建築、そして新古典主義など、様々な様式で建てられているが、ネオ・バロック様式で建てられた村山下第一取水塔はその中でも最も完成度の高い様式建築と言えるだろう。また、山口第一取水塔には新古典主義の中から一歩前進した、脱様式的な意匠を見る事ができないだろうか。そして、山口貯水池管理事務所では、古典様式建築的な流れから完全に縁を切り、近代水道施設の完成によって衛生面でも日本が欧米と同じ土俵に立ったことをインターナショナル・スタイルを採用することで表現したのではないだろうか。管理事務所から山口第一取水塔を眺めると、近世から近代へと駆け足で昇りついた当時の日本の気概を建築デザインからも垣間みる事ができるような気がした。

今回紹介した水道施設は現在でも現役の建物なので基本的に見学はできないが、詳細は水道局に訪ねてもらいたい。また、文京区にある東京都水道歴史館では村山下第一取水塔の原寸大の模型が展示してあり、歴史的な資料だけでなく空間的にも楽しめる場所となっている。

【参考文献】
■水道の文化史 堀越正雄 鹿島出版会 1981年
■東京人 1998年12月号 都市出版
■西洋建築の様式 鈴木博之編 彰国社 2005年