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「東大農場の近代建築」 東京大学田無農場 田無市 

  • 建物雑想記
  • 2009.05.01
建物雑想記 東大農場
三月の下旬に東大農場を訪れた。西武新宿線の田無駅の北口から伸びる駅前通りに沿って真っすぐ北上すると、間もなく通りは農場の正門に突き当たり、場内を縦断する南北道となる。駅と農場は正に同じ軸線上にあり、田無駅が昭和2年に開業し、その直後の昭和4年に東大が田無の広大な土地を購入しているので、駅の北口は東大農学部と共に歩んで来たと言っても過言ではないだろう。

農場の正門を入ると、辺りは別世界のように空が広く、駅から歩いて10分も満たない場所とは思えないような、のどかな風景が広がっていた。ちょうど桜の咲き始めた時期で、近隣の園児やお母さん達のグループが桜を楽しんでいた。昔ながらの、地域に開かれた大学という印象を受けた。

さて今回取材したのは、そんな東大農場に現存する昭和初期の建物である。農場が駒場から移転した昭和10年前後に建てられた木造の農場施設が現在でも数多く残っているのである。農場の米川智司准教授と「元 東大農場のみどりを残す市民の会」で旧乳牛舎の保存修復活動に取り組んだ一級建築士の久野雍夫氏に場内に現存する近代建築を案内していただいた。
「東大農場に現存する木造建築は内田祥三教授が東京大学営繕課長だった時期に建てられているので、何らかの形で内田教授が関わったと考える事ができる」と久野氏が熱く語ってくれた。内田教授は建築の構造が専門だが、安田講堂など東大の顔となる建物を数多く設計したことで有名な建築家で、東大キャンパスの建築様式のことを特別に「内田ゴシック」と呼ぶ事がある程だ。第一四代東大総長も勤めた建築家としても名が知れている。

内田教授がどこまで個々の建物に関与したかは不明だが、営繕課の描いた昭和初期の農場施設の図面を見る事ができた。今では大学の営繕課や施設課が構内の建物を設計する事は稀だが、一昔前は当たり前にそのようなことが行われていて、使う人と設計する人間の距離が近かったような気がする。図面はもちろん墨を使って、手で描かれており、力強く、シャープな線が印象的だ。「これはいい建物になるぞ!」そんな設計者の意気込みが伝わってくるような図面だった。

見た目だけでなく描かれている情報も無駄が無く的確だ。基礎や耐力壁といった構造の仕様も詳細に描かれていて、耐震性を加味した設計を行っていたことが読み取れる。建築基準法が施行された昭和25年よりも前の建物は、耐震性能等の仕様は専ら設計者の判断に委ねられており、小規模の木造建築では、理にかなっていない構造の物も多く建てられていたのである。ここからも東大農場の建物では、構造を専門にしていた内田教授の指導の基で、設計が進められたであろうことが推測できると久野氏は考察している。

場内には農場移設当時に建てられた建物が現在でも20棟程残っている。昭和初期の木造の農場施設がこれほど群として残っている例は他では類がなく貴重な場所である。まず特筆すべきことは、これらの施設の建てられている配置だ。個々の建物が中庭を囲んで建てられており、まるで集落を形成しているようだ。近代農業を研究する為の施設として建てられた建物ではあるが、伝統的な農村の風景を連想させ、とても興味深い。それぞれの建物の配置と中庭が密接な関係にあったに違いない。しかしながら、昭和の終わりから平成にかけて中庭の南半分に農場本館研究棟と別館A棟が建設され、しかも中庭に対して背を向けて建てられているのは残念なことである。
建物雑想記 東大農場配置図
中庭を囲む建物は切妻屋根の桟瓦葺きで、棟には鬼瓦、袖瓦の横には風切丸が葺かれ、純和風な屋根の造りになっている。建物は基本的に中庭に対して平入(前ページ下図参照)に配置されているが、穀物貯蔵庫(旧穀物倉庫)だけは妻入になっている。やはり貯蔵庫は「蔵」のイメージで設計したのであろうか、昔の集落と穀物庫のような関係になっていて面白い。屋根の軒の出は決して深くはないが、中庭に面して深い庇が設けられている。庇が架かることによって視覚的に軒が下がって見えて、日本の民家のような安心感がある。そして、それらの建物が中庭に面する事で、集落のような佇まいを感じさせるのであろう。

農場内の木造建築は、昭和5年から12年の間に建てられている。農具舎、収納舎、資材置場、物置など主な用途が倉庫の物がほとんどだが、意匠、構造あるいは規模がそれぞれ違い、どれ一つとして同じ形の建物がない。意図的に違えて建てたのではないかと思う程、差異に富んでいるのだ。建物には装飾的な意匠はほとんどなく、正に「質実剛健」という言葉の似合う物ばかりだ。架構にトラス(西欧式な屋根の組方)を多用しているからか、当時の建物にしては仕口(梁や柱の接合部分)にも金物をよく使っており、庇を支える腕木まわりの金物の使い方などは、農場内で共通する数少ないデザインコードになっている。しっかり造ってあるからこそ、最低限のメンテナンスで今まで七〇年以上も建物が持っているのだろう。機能を最優先にしながらも、近代木造技術の中で合理性を追求した時代の傑作と言えるのではないだろうか。
建物雑想記 東大農場 旧孵化室
意匠的に最も印象に残ったのは、中庭より少し東側にある資材置場(旧孵化室)だ。切妻屋根に下見板張の外観と、全体的に小振りな建物で、西側の屋根は腰の高さまで下ってきている。妻方向から入る深い庇が付いた玄関には、御影石の靴摺が使われているなど、農場内の建物の中では上級な仕様となっている。デザイン的なセンスも他の建物に比べて抜群にいい。棟の近くに立ち上がった煙突が可愛らしく、お伽噺に出てくる小屋のように見える。現在は資材置場になっているようだが、昔は鶏の卵を孵化させる場所だったとのこと。研究員や技術職員が泊まりがけで世話をするためのベッドが壁に造り付けてあり、おそらく住み込みでヒヨコ達を見守ったのであろう。

場内には多くの近代建築が残っているが、中には本来の役割を終え、旧孵化室のように倉庫化している物もあり、今後の活用方法が期待される。幸い、東大農場には建物に対して理解のある教員がいて、「東大農場・演習林の存続を願う会」という、心強い市民団体が応援しているので、良い方向に進むであろう。これからも、この豊かな空間が持続する事を願っている。

■参考資料

・東大農学部の歴史 東京大学農学部ホームページ
・多摩農場の建物群 久野雍夫 私的資料 2007年