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「有機的な校舎」 自由学園南沢キャンパス 東久留米市

  • 建物雑想記
  • 2009.02.01
本稿で二回続けて木造校舎について取り上げてきた。第十五章では「東京の木造校舎」というタイトルで「東京市立小学校木造校舎の設計規格」と旧小河内小学校の仕様との比較検討を行った。その結果、昭和32年に建てられた旧小河内小学校が昭和初期の東京市の設計規格にほぼ合致することがわかった。第十六章では「木造校舎は何故懐かしく感じるのか?」という抽象的なテーマで木造校舎の魅力を探ってみた。「木」という素材の持つ性質から受ける好印象だけでなく、木造建築は職人の経験と蓄積による確かな技術に支えられているという「安心感」も一役買っているという考察をした。

しかしながら、記事の内容は仕様や素材、技術に関する言及にとどまり、「デザイン」という観点には触れていない。都内に現存する数少ない木造校舎を見れたことに対する感動はあったものの、旧小河内小学校や旧分校の木造校舎も、建築自体からはデザイン的な感動はほとんどなかった。
建物雑想記 自由学園南沢キャンパス
今回取材した自由学園は、昭和五年から昭和11年にかけて建てられた木造の校舎が現在でも使われている学校であるが、今まで取材してきた木造校舎とは一線を画す存在なのである。それは、学園の校舎には一目見ただけで忘れられない圧倒的なデザイン力があるからだ。学園内には、初等部、女子部、男子部と校舎群が点在するが、それぞれ個性的な意匠で構成されているものの学園として各部に共通するデザインがある。最も印象的なのが、強い求心性のある左右対称な建物の配置である。外に対しては外敵から生徒を守る男性的な力強さと、内部に対しては暖かく生徒を見守る女性的な抱擁力が同居しているような配置計画になっている。また建物の各部位や細部には細かい装飾が施されていて、見ているだけでもワクワクする。「このような学校で学ぶことができたら幸せだろう」と思わせる魅力がこの建物には存在すのである。これは、この校舎が正に「自由学園」の教育の場としてデザインされているからである。木造校舎が建てられてから、80年もの時間が経過してるにも関わらず、そのデザインの魅力は廃れることなく、逆に時の流れが揺るぎのない伝統として、更なる感動を人々に与えている。
自由学園南沢キャンパス

Exif_JPEG_PICTURE建物には必ず設計者がいるが、どのように設計に取り組むかで、でき上がる建物の内容が変わってくる。設計者が主に建築技術者的な立場で建物と関われば、機能や性能が重視され、空間的なデザインまで労力がまわらないケースが多い。設計者がデザイナーとして関わる場合は、機能や性能はもちろんのこと、環境や思想まで建物の設計に盛り込むことができるので、空間的に豊かな建物ができあがる。後者のような関わり方をする設計者を一般的に「建築家」と言う。しかしながら設計者は設計業務を施主から依頼されて設計行為を行うので、どう設計に関わるかは依頼主のスタンス(要望)にかかっている。設計時間や費用の制約などからも、建築技術者的な立場としての仕事の方がニーズが多く、今も昔も建築家として設計業務を生業としている設計者は多くない。

自由学園の木造校舎が今まで取り上げてきた木造校舎と違う理由は、建築家が設計したという点にある。自由学園(南沢キャンパス)は建築家遠藤新によって設計された学園である。質の高い建築が誕生するためには、設計者の能力を引き出す施主が必要で、学園の創立者である羽仁吉一・もと子夫妻の教育思想がはじめにあり、それを遠藤新が設計の中に取り込み、独特のデザインや素材を使って建築として具現化したと言えるだろう。

遠藤新を語るにあたって避けて通れないのが、アメリカの建築家フランク・ロイド・.ライトである。ライトはル・コルビュジエ(上野の国立西洋美術館を設計)、ミース・ファン・デル・ローエ(バルセロナ・パヴィリオンを設計)と共に近代建築の三大巨匠の一人と言われる建築家で、日本にも4棟程作品が残っている。ライトの日本での代表作は旧帝国ホテル(現在は新館に建て変わっているが、旧館の一部が明治村に移築されている。)と言われるが、大谷石をふんだんに使った装飾、建物の高さを押さえ、強く水平に伸びる軒の輪郭線や正面に対して左右対称形なファサードデザインが特徴的な建築として有名である。この旧帝国ホテルは関東大震災で被災しながらも、ほとんど無傷だったことから、ライトはデザイン面だけでなく耐震設計にも明るい建築家とされている。
建物雑想記 羽仁記念図書館
遠藤新は日本でのライトの一番弟子といわれた人物で、遠藤楽(新の次男)と親子二代でライトの建築思想を日本で実践した建築家として知られている。遠藤新は旧帝国ホテルの設計をライト(50代前半の頃)の元で担当し、後の彼のデザインに大いに影響を受けている。国の重要文化財にもなっている明日館(自由学園目白)はライトと遠藤新が共同で設計した建物である。南沢キャンパスの設計にはライト自身は直接関わっていないが、ライトの提唱する「有機的建築」という建築思想を遠藤新が引き継いで実践した。左右対称形の配置計画や、大谷石を使った装飾、幾何学的な模様などはライト直伝のデザインであり、現在でも学園のデザインコードになっている。

一方、遠藤楽はライトが90歳の時にアメリカの事務所に渡り彼の元で修行を積んでいるが、同じ師から受けた影響もかなり違ったようである。遠藤楽の設計の羽仁両先生記念図書館は、ライトの晩年の名作、グッケンハイム美術館や遺作と言われるマリン郡庁舎のイメージを彷彿させる建物である。同時に、父親である遠藤新の建築から旧帝国ホテル時代のライトの作風も肌で学んでいたため、構造を鉄筋コンクリートにしながらも、大谷石や木製建具をデザインの中にうまくとりこみ、ライトの「有機的建築」を時間軸で繋げたような、彼でなければデザインできない傑作を創り出している。

「有機的建築」とは、「個々の空間やその空間を構成する部材一つ一つがお互いに関係し合い、全体を構成する切っても切れない要素である」という考え方である。この理念は、「生徒一人ひとりを、学校や社会にとって必要不可欠な人格として認め、個人と学校、そして社会がそれぞれに助け合いながら社会全体として生き成長する」という自由学園の理念と合致するものであったと遠藤楽は後に語っている。依頼主と設計者が建物に対する理念をそれぞれの立場で共有して創った学校だからこそ、現在でも教育の場として愛され、使い続けられているのであろう。

「優れた建築は、人の心に何かを訴えてくる」と遠藤楽は述べているが、私も同感である。建物に魅力があるからこそ、長く使いたいと思うし、そのように維持管理するのではないだろうか。魅力ある建物を創るためには、施主にも設計者にも思想がなくてなはならない。そんなことを南沢の森で考えていた。

■参考文献
遠藤楽作品集「楽しく建てる」丸善株式会社 2007年
谷川正己「フランク・ロイド・ライトとはだれか」国王社 2001年