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「夢膨らむ丘陵の別邸」村山中央病院三楽荘 武蔵村山市

  • 建物雑想記
  • 2006.05.01
村山中央病院の三楽荘は建主と施工者の夢の住宅、そんな想いが伝わって来そうな別荘だった。多摩湖道から少し入った丘陵地にその別荘は建っていた。ゆったりとした車寄せのある前庭から望む建物のイメージはかわいい洋風木造建築だ。ちょっと間の抜けたような窓の配置にも愛嬌がある。
建物雑想記 三楽荘
斜めに切り落とした切り妻屋根の頂部、大屋根妻部分のハーフティンバーの意匠、そしてベランダ(ポーチ)のついた玄関。このような特徴のある住宅はバンガロー式住宅と言われ、明治末期にアメリカから輸入された住宅デザインである。三楽荘のベランダ付き玄関は職人が腕を振るった場所だと思われるので、ちょっとマニアックな視点で観察してみよう。

まず気になるのがベランダの四方に建てられた円柱だ。ローマ建築のドリス様式を連想させる。円柱の柱身には溝が掘られているが、この溝はフルーティングと呼ばれ、特に柱の途中で止まっているものをケーブルド・フルーティングという。壁際の柱は壁から3/4程前にずらして設置し、円柱を強調する手法が採用されており、なかなか手の込んだ造りだ。バンガロー式住宅では先細りの角柱を使うことが多いようだが、三楽荘の柱はよりヨーロッパ的な雰囲気を醸し出していると言えよう。

アメリカのベランダにはベンチなどがあって、日向ぼっこをするような場所だが、三楽荘のベランダは手摺が床から40cmとかなり低い。この高さではベンチの背もたれにもならないし、手摺としても役に立たなそうだ。玄関ポーチ正面に対で設置されている大谷石の手摺柱にも注目したい。一見石材を積み上げて造ったように見えるが、よく観察すると大きな石を削り出して、わざわざ乱積みのように見せているのだ。ここらへんは、ベランダ付き玄関のイメージが先にあって、そのイメージを職人が苦労して再現した、そんな印象を受ける。

玄関の庇もまた趣向を凝らしたデザインとなっている。屋根を支える垂木は軒線と垂直に出すのが一般的だが、ここでは扇型になっているのだ。扇垂木といっても禅宗寺のように繊細さはない。骨太な材料を粗に使った力強さがあり、パーゴラのような印象を受ける。垂木の端部は一般的な切り落としではなく、ちょっとした切り欠きを入れることで、骨太の垂木を軽く見せる工夫が施されている。ここら辺のデザインは実にうまい。一歩下がった位置から見上げると、庇が両手を広げて客人を迎え入れるような感じで、気持ちのいい玄関である。

西側の外観は全体としてはアメリカのバンガロー式住宅のように見えるが、ベランダの蹴込み部分に小砂利洗い出しの仕上げがあったり、「和」の仕事が所々に見え隠れしていて興味深い。おそらく施主あるいは設計者からの具体的な指示の無い部分に対しては、職人がデザインを付加していったと想像できる。ベランダの手摺も洋風要素の「和」的な解釈としての欄干だと考えれば、その低さにも納得がいく。アメリカのロマンを追い求めた施主と、日本の技でそれに応えた職人のコラボレーションの傑作と言えるだろう。
建物雑想記 玄関ポーチ
三楽荘には西面の可愛らしい木造二階建ての洋館の他にもう一つの顔がある。庭に沿って西から東に続く通路を下ったところで建物を見上げると、崖地に建つ円筒形の出窓を持つ3階建ての凛々しい姿があるのだ。一層部分(地階)は石造で最上層(2階)の上には円形の展望台まで付いている。西面を女性的とすれば、東側は砦のような外観を持つ男性的な外観だ。

展望台には2階の廊下から繋がる外階段で壁を伝って到達するようになっていた。どんなことをしてもこの部分に展望台を付けるのだという施主のこだわりが伝わって来くる場所だ。実際ここからの展望は絶景である。

余談だが、三楽荘の西側の外観は、トトロの住む「サツキとメイの家」の洋館部分に似ている。切り妻屋根の頂部のデザインや、パーゴラのイメージは三楽荘と通じるモノがあるのだ。トトロの住む家のイメージを宮崎駿は『トトロの住む家』/朝日新聞社にまとめているが、昭和初期の「和風」を中心とした間取りや生活に焦点が当てられていて、洋館部分の具体的な意匠に関してはほとんど言及していない。あの洋館部分のイメージはどこからきたのだろうか?狭山丘陵がトトロの森だとしたら、もしからしたら……。三楽荘は夢の膨らむ別荘である。

三楽荘外観