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「間取りと畳」ミニ洋館並立住宅 青梅市  

  • 建物雑想記
  • 2005.02.01
建物雑想記 ミニ洋館並立住宅

日本の間取りの特徴は、靴を脱ぐ玄関と畳の部屋があることと言われているが、どうも最近は違うようだ。「畳」は共通認識かもしれないが、実際は和室を持たない住宅も少なくない。今回取材した吉田邸は戦前の流れを汲む住宅で、畳敷きの間取りが特徴的だ。

吉田邸は戦後間もない昭和25年に建築された住宅で、外観は「ミニ洋館並住宅」、間取りは「中廊型住宅」と言うことができるだろう。また難解な言葉が出てきて申し訳ないが、「洋館並立」とは和館と洋館が並立していることを表ている。まだ椅子座が一般的ではなかった時代は、日常生活を和館で行い、洋館は接客の間として使われた。つまり洋館はステータスシンボルとして住宅の外観を特徴づけていた。吉田邸の洋館はその外観とは違い、内部は畳み敷きだ。床の間や押入がある純和風の仕様なのである。当初は洋間の応接間として計画されていたようだが、板敷きの洋間よりも畳の方が実生活に即した部屋との判断から、和室に変更されたという。
次に「中廊型住宅」だが、これは廊下を軸に座敷(続き間)と台所や水廻りなどの生活・サービス空間を分ける住宅形式のことである。明治半ばに登場し、大正から昭和初期に普及した。吉田邸は、この手の形式が建てられた時期としては最後の頃だったと言える。

ここで住宅の間取りに関する一般的な流れを説明したい。
昭和二六年に後の日本の住宅のあり方に絶大な影響を与えた、公営住宅標準設計の51C型(ダイニングキッチンと個室2部屋から成る、2DKと言われる間取り)が提案された。「食寝分離(食べる場所と寝る場所の区別)」、「就寝分離(生活する場所と寝る場所を区別する)」という明確なコンセプトに基づいた間取りで、その後の住宅の流れは個室の数(nで表記)にダイニングキッチンを加えた「nDK」で表記されるようになった。初期の2DKは個室が二部屋とも和室だった。このことからも当時は畳での生活が一般的だったことがわかる。
「nDK」の間取りは、その後急速に普及していく。高度経済成長期を経て、畳座から椅子座の生活が主流になり、和室は時代と共にフローリングの洋間へと代わっていった。起居様式の変化は住宅の床面積の増加を促し、間取りはリビングの「L」を付けた「nLDK」へと進化する。リビングの登場により理想の間取りを得たかのように思えたが、個室を中心としたこの間取りでは対応できない生活も多く出現し、現在は「nLDK」の間取りも過渡期に差しかかっている。生活の多様性のなかで、再び畳敷きの間の持っていた良さが見直されている。
吉田邸の畳敷きの部屋は、「続き間」という伝統的な日本の間取りの流れを汲んでおり、襖や障子を仕切ることで多用途の生活に対応できた。一方「nDK」で表記された和室は他の部屋や廊下との接点が少なく独立した個室として使われた(図参照)。個室化は部屋の用途を限定させ、生活の行為ごとの部屋数が必要とされた。

また吉田邸で特記すべきことは、収納の多さにもある。各部屋に対して少なくとも一間以上の押入が用意されている。戦前の流れを汲む間取りながらも、先見の目のある設計だったと言えよう。
畳敷きの部屋が洋室化していく過程には、上述の生活様式の変化と同時に家具や生活用品の増加も無視できない。和室は座の生活を基本としているので、家具が部屋の中に入り込むと、座ったときの圧迫感を感じやすく、居心地の悪い部屋へと化する。適切な収納のない和室が、納戸化されてしまうことが多いのはこのためだ。

現代和室考 間取り図
洋室化の進む中で、和室は無くなってしまうように思えたが、個室としての和室は減少したものの、多目的な座の空間としての畳の間は増えているように思える。椅子に座りベッドで寝ても、床に座ってくつろぐスタイルは以前人気があるようだ。
ここで再び「続き間」的な部屋のあり方が注目されている。昔のように和室どうしの続き間ではなく、多目的空間としての畳の間とフローリングのように、異なる性格の空間を障子や引戸で仕切った「続き間」だ。

吉田邸の間取りは決して昔のものではなく、戦後の間取りの変化が早すぎたと捉えることもできるだろう。今は忘れ物を拾うために軌道修正をしている時期かもしれない。

 

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