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「連載から発展する地域との関わり」

  • 建物雑想記
  • 2017.07.15
1.「建物雑想記」
多摩地域の人口は420万人を超え、日本の人口が減少に転じたとされる2005年以降も人口が増え続けている地域で、開発や区画整理等で街並みが現在も変化し続けている。そのような中で戦前から残る建物を記録し、魅力を伝え、そしてエールを送る連載として「建物雑想記」が2004年にスタートした。

おかげ様で連載は2017年で13年目になり、前号で50回の節目を迎えることができた。取材した建物を改めて振り返ってみると、主な取材対象が戦前の洋風建築ということもあり、老朽化が進み空き家になっていたり、解体されたものも多い。私の把握する限りでも50棟の内の12棟が空き家、11棟が解体されている。空き家は放置され、使用に耐えられない状態の物もあり、戦前に建てられた洋風建築が街から消えつつある現状がここからも読み取れる。多摩に残る洋風建築の大半は国の重要文化財になるような一級品ではない。しかしながら、その地域の近代を今に伝える貴重な建物と位置づけることができ、地域遺産としての価値は高い。


2.地域活動への展開

建築雑想記の取材を通して、建物の維持管理方法の相談や、建物の魅力を伝える地域活動へと発展した事例がいくつかある。今回はこの場を借りて、特に地域との関わりが生まれた三棟の建物を報告したい。

2-1.旧梅田診療所保存プロジェクト
立川市の旧梅田診療所は「建物雑想記」の連載のきっかけとなった洋館で、国の登録有形文化財への登録のお手伝いをした建物でもある。御当主が無くなる前から、旧診療所の今後についての相談を受けたので、レトロカメラマン伊藤龍也氏を中心に保存プロジェクトを立ち上げ、洋館の公園への移築など様々な保存方法を検討したが、残念ながらどれも実現できなかった。しかしながら、国の登録有形文化財に登録されていたことから、解体前に立川市による記録調査、そして歴史民俗資料館による資料の収集が行われた。(詳しくは「登録有形文化財・旧梅田診療所」参照)

解体時に取り外した天井装飾材は、建て替え後の高齢者向け住宅のエントランスホールに移設され、20014年に竣工した。そして、2015年の春には立川市歴史民俗資料館で収蔵された品々を展示した「梅田家と梅田診療所展」が開催されたのである。立川駅周辺にあった同時代の建物の多くが、人知れずひっそりと幕を閉じていたことを思うと、登録有形文化財に登録されていた意義は大きかったと言える。
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2-2.旧高田邸プロジェクト
建物の所有者から「洋館を解体することが決まったので、壊す前に地域の役に立てたい」と本誌編集部にお手紙が届いたことから始まった洋館のクロージング・プロジェクト。本とまちの編集室として地域活動を展開している「国立本店」がまとめ役となり、洋館の応援団が集結、さまざまな企画を通して、建物との最後の一時を共有した。(詳しくは「旧高田邸と国立の魅力」参照)
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2-3.仲田の森遺産発見プロジェクト
このプロジェクト(以降:遺産発見PJと表記)は現在も進行中なので、少し詳しくお伝えしたい。日野市は私の住んでいる街で、中央線と京王線、国道20号線の通る利便性の良さから、市街地開発が行われてきた地域である。高度経済成長期以降に人口が増え、牧歌的な風景の残っていた田畑が区画整理され、宅地へと造成されてきた。

洋館との出会いは2006年、「ひのアートフェスティバル」が仲田の森(「仲田」は字名、かつて旧農林省蚕糸試験場日野桑園が一帯に広がっていたが、昭和55年に試験場が移転後、長らくフェンスで囲われ樹木が茂ったことから「仲田の森」と呼ばれるようになった)の古屋を会場としていると聞いて見に行ったことから始まる。昭和初期に建てられた和洋折衷の建築が日野にも残っていたことに驚いた。ひのアートフェスティバルの会場として夏の数日間だけ使われていたが、それ以外は閉鎖され倉庫となっていた。建物の外部劣化は進んでいたものの、内部は試験場当時の状態が保たれた素晴らしい建物だった。「貴重な近代遺産が放置されているのはもったいない、建物の魅力を知ってもらいたい」と思ったのがコトの始まりである。

2007年に多摩のあゆみ128号で旧蚕糸試験場第一蚕室を紹介。その取材が縁で、ひのアートフェスティバルに参加し、旧第一蚕室の建物の魅力を紹介するパネル展示を行った。しかしながら、廃屋のように扱われている建物の素晴らしさを語っても、一般の人の心を動かすことは難しかった。せっかくアートフェスティバルに参加しているのだから、アートを通してこの場所の魅力を伝えることはできないだろうか…。悩んでいた時に法政大学エコ地域デザイン研究所の長野浩子氏と出会い、法政大学デザイン工学部陣内秀信研究室、永瀬克己研究室、自然体験広場の緑を愛する会と、仲田の森の歴史的な魅力を伝えることを目的とした「仲田の森遺産発見プロジェクト」を2009年に立ち上げ、アートイベントを企画・実施した。
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2009年のアートフェスティバルでは仲田の森に現存する蚕室の基礎群の遺構に注目し、ここに蚕糸試験場があったことを知るイベントを行なった。2010年の夏から仲田の森の一部で「日野市市民の森ふれあいホール」の建設が始まった。この年は旧蚕糸試験場の建物で唯一残った旧第一蚕室で参加型のアート企画を実施した。長い間放置され、物置と化した空間を整理し、漆喰の壁と床板を磨くだけで、昭和初期という時代の魅力を現在でも実感できること、そして空間の利活用の可能性を表現した。廃墟と思われていた旧第一蚕室に光を当て、現在から未来へ時間軸を方向付けする企画であった。そして2011年は過去二年間の活動の締めくくりとして、旧第一蚕室が昭和初期という近代の魅力の詰った「生きた場所」であることを体感する企画「LIVE 桑ハウス(旧第一蚕室)」を実施した。この年は仲田の森で活動しているNPO法人子どもへのまなざし、地元のミュージシャンMARKAさんら、多くの市民を交えた企画となった。
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その後、2012年に仲田の森が「仲田の森蚕糸公園」として整備されると同時に、旧第一蚕室が日野市の所有になり、公園に残ることになった。遺産発見PJの活動もアートイベントから旧第一蚕室の調査等、歴史的な価値を掘り下げる活動へと変化し、2014年に「旧蚕糸試験場日野桑園第一蚕室保存活用に向けた復原調査報告書」をまとめた。その後は、旧第一蚕室の魅力と歴史的な価値を伝える活動を行なっている。2015年以降は日野市との共催で日野市産業まつり時に公開イベントを実施し、2016年の見学者数は一日に785人となった。改めて市民の関心の高さを知ることとなった。

富岡製糸場が世界遺産に登録されると、市内外でも絹産業遺産が注目されるようになった。また、日野市文化財保護審議委員の山田幸正首都大学東京教授の協力も得て、旧第一蚕室を文化財へと登録する道筋を整えることができ、2017年6月に念願だった国の登録有形文化財の登録が実現した。遺産発見PJの活動も新たなフェーズに入り、旧第一蚕室の文化財的な魅力と価値を生かしつつ、いかに活用できるか、地域や行政と協力しながら方向性を探っている。2017年11月の日野市産業まつりでは内部の公開だけではなく、更に第一蚕室の空間の良さを体感するイベント(休息室として内部を活用)を日野市と開催し、大きな反響を得ることができた。

旧第一蚕室・桑ハウス2017

「歴史的建造物」、「産業遺産」と聞くと日常の生活とは別の世界のことと感じる方も多いと思うが、もっと身近な存在として捉えてもらいたい。「古い建物が周りあるとちょっと嬉しい、ホッとする」そんな直感的な感性を大切にしたいと思っている。これからも古い建物の魅力をお伝えできれば幸いである。